吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

デュプリシティ スパイは、スパイに嘘をつく

 筋が複雑すぎてついていけない! 時間を何度も飛ばして騙し合いの丁々発止が展開する、産業スパイもの恋愛映画。いったい誰が誰を騙しているのか、どんどん話がこんがらがってくる。映画の中の登場人物たちも疑心暗鬼の虜になるが、見ているこっちはもっと人間不信に陥っている。


 まー、しかし、この手の二転三転のどんでん返しがある「騙しもの」というのはなかなか面白いのである。なぜだろうか? 人はなぜ騙されることを楽しむような性癖があるのか?


 ドバイ、ローマ、ロンドン、マイアミ、ニューヨーク、…と世界各地を飛び回る、ひときわ目立つ美しい二人。男は元MI6、女は元CIAのスパイ。二人とも恋に落ちた同士で「公務員」の職を棄て、民間企業の産業スパイとして暗躍することを選ぶ。さらにはその企業スパイの上前をはねるという計画に。しかし問題は、彼らの職業病だ。誰も信用できない。公私ともにパートナーというのに、互いを信用できない。そんな二人が恋に落ち、しかし互いを信じられずに疑心暗鬼。さて、恋の行方とこの産業スパイの行方は?! 


 極めてシリアスな内容にもかかわらずユーモラスで、詐欺という犯罪ものにもかかわらず誰にも罪悪感がないのは、つまりがその「産業」の舞台がシビリアンなものだからだろう。昨今、映画の題材になる企業犯罪にはたいてい軍事がからんでいる。ところがこの映画ではその舞台となる産業がピザだったりトイレタリー商品だったり。世界市場を独占する莫大な利益をもたらすに違いないある「新製品」が実は………というのも笑いを狙ったものなのだろう。


 こんなふうに騙し合いの映画が面白いという理由は、「人は他者を理解できない」という根本的なアポリアから発しているのではないか? わたしたちは常に他者を理解できず、他者を信じることができない。自分たちがいつでも誰かに「騙されている」という感覚から自由にはならない。「騙す、騙される」というのは「嘘をつく」という明確な行為によってではなく、「自分の思いこみが他者には通じない」というディスコミュニケーションに由来しているのではなかろうか。そのディスコミュニケーションの究極の形を体現するカップルがこの映画のジュリア・ロバーツとクライブ・オーウェンなのだ。相容れない他者こそが実は自分の唯一の理解者であり、だからこそその相手をどうしようもなく深く愛してしまう。最も嫌な男(女)こそが自分を理解し、最も信用ならない男(女)しか自分の愛の対象とならない。ここには愛のアポリアが横たわる。


 それはそうと、忘れてならないのが、ポール・ジアマッティ! この人、この映画でのタコ顔がたまりません。上昇志向と野心でギラギラになっているCEOを熱演。ほんとにうまいわ、こういう役をやらせると熱演タイプです。映画を最後まで見終わってみると、ふと巻頭のシーンが気になる。果たしてあのシーンはどの時点の出来事なのだろう? ポール・ジアマッティトム・ウィルキンソンという名優が二人、空港でつかみ合いの喧嘩をする場面が絶妙のスローモーションで展開する。大企業のCEOどうしが衆人環視の中でつかみ合いの殴り合いなんていうスキャンダラスな場面、これは実はラストシーンの後に来るのではなかろうか。

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DUPLICITY
125分、アメリカ、2009年
監督・脚本: トニー・ギルロイ、製作: ジェニファー・フォックスほか、音楽: ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演: ジュリア・ロバーツクライヴ・オーウェントム・ウィルキンソンポール・ジアマッティ