吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

戦火の奇跡 〜ユダヤを救った男〜

前後編、一気に見てしまいました!

 少し前に、芸能人のブログが炎上し、殺人犯と間違われた彼が不特定多数の人々から「死ね」「殺す」とコメント欄に書き込まれて逮捕者が20人近く出る事件があった。あのとき、逮捕された女性の一人は「●●さんが殺人犯だと思いこんでいた。正義感からやった」と証言していたとラジオニュースで聞いた。正義感! もはや日本語の正義感は死語となったらしい。自分を棚上げして他者を誹謗中傷することが正義感とはこれいかに。匿名で相手をののしることが正義感というのだろうか。自分は何も曝さず何も傷つかず高見に立って「殺す」と書くことが正義感とは。

 正義感とは、やむにやまれぬ事情から発揮するものなのではなかろうか。自分が窮地にあるときにこそ発揮してこそ本当の正義感であり、自分の命を危険に曝すことによって行使されるのが正義というものではないのか? 翻って、わたし自身がその逮捕された女性たちを非難する資格があるのか、という自問を常に忘れたくないと思う。

 さて、この映画の主人公、実在のイタリア人、ペルラスカこそがまさに正義感の人であったと言えるだろう。たまたま仕事のためにハンガリーにやってきたイタリア人が、ユダヤ人へ弾圧を目の当たりにして彼らを救おうとふと温情をかける。しかしその温情は実は命がけなのだ。ハンガリーは当時ドイツ、イタリアとともに枢軸国側にあり、事実上ドイツの支配下にあった。ドイツ軍がうようよしている中、またハンガリーファシスト政党「矢十字党」の目が光る中でペルラスカは大胆にもスペイン領事を装う。彼の機転といい、勇気といい、これは天性のものなのだろう。それに女性を口説くのが好きだし。ユーモラスな場面では思わずにやりとしてしまう。

 彼が大使館の中に匿い救い出した人々は実に5000人にも及ぶ。一方、救うことができずに虐殺された人々も数多い。テレビドラマだけにわかりやすい展開は長さを感じさせず、手に汗握る数々の起伏あるドラマに仕立てられている。しかもそのドラマが抑制された演出によって描かれているため、緊張感が持続する。大勢の登場人物のそれぞれの物語の描写も丁寧であり、彼らの運命の分かれ目が見る者の心を引き裂く。 

 この正義の人、そして女好きのイタリア人ペルラスカは自らの英雄的行為を誰にも語っていなかった。彼に救われたユダヤ人女性達がようやくペルラスカを発見したのは1988年である。なぜ黙っていたのか、と問われたペルラスカは「なぜ語る必要があるのか?」と問い返したという。ユダヤ人を助けた「シンドラーのリスト」のシンドラーはドイツ人であったし、彼は工場経営者としてユダヤ人を救うことができるだけの財力(権力)があった。日本の外交官杉原千畝が6000人のユダヤ人を救えたのも、彼がそのような職権を持っていたからだ。ともに勇気ある行動だと言えるが、ペルラスカの場合は、権力も金力もない一人のイタリア人がなんの縁もゆかりもないユダヤ人をただ突き上げる同情心から救ったという、もっとも勇敢な行動だったと言えるだろう。 

 人は英雄になろうとしてなるのではない。ペルラスカの知略が結果的に5000人以上を救うことができただけのことであり、彼の勇気も下手をすれば早い時期にその嘘を見破られてしまう可能性だってあったのだ。人は淡々と生き、信念に基づいてただひたすら懸命に自らの責任を全うすることによって、崇高な生き方だったと最後にわかるものなのだろうと思う。必見の感動作。(レンタルDVD)

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戦火の奇跡 〜ユダヤを救った男
PERLASCA. UN EROE ITALIANO
イタリア、2002年、上映時間 200分
監督: アルベルト・ネグリン、原作: エンリコ・デアグリオ、脚本: サンドロ・ペトラリア、ステファノ・ルッリ、音楽: エンニオ・モリコーネ
出演: ルカ・ジンガレッティ、ジェローム・アンガー、アマンダ・サンドレッリ、
マチルダ・メイ