吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

トゥヤーの結婚

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 トゥヤーの結婚とはトゥヤーの再婚のことである。二人の子連れで再婚するトゥヤーが華やかな結婚衣装を纏っている巻頭のシーンでは、彼女の息子が「おまえの家には父ちゃんが二人いる」とからかわれ、花嫁というのにトゥヤーは密かに涙を流す。彼女の結婚は不幸なものなのか? そして物語は数ヶ月前に遡る…

 内モンゴルに住むトゥヤーの夫は井戸掘り時の事故で半身不随になってしまった。子ども二人と障害のある夫とを抱えて生活に疲れ果てたトゥヤーを見かねた夫は、離婚を切り出す。離婚して新しい夫を探せ、おまえの器量ならそれができる、と。悩んだトゥヤーは離婚に応じたものの、再婚相手には元夫も一緒に引き取ること、という条件をつけることにした。やがて、トゥヤーのもとにはとっかえひっかえ結婚の申し込みに男達がやってくる。さて、トゥヤーはいったい誰と再婚するのか? 

 別れた夫も一緒に引き取ってくれる再婚相手を探すなんて、あり得ない話だろうに、それが実現するから信じがたい。しかも、この再婚話の過程が面白可笑しく描かれていて、その上、トゥヤーのけなげな姿も元夫の辛い気持ちも言葉少なに淡々と映し出す、不思議な映画だ。引きも切らずに求婚相手がやってくるというほどにトゥヤーが美しいとは思えない。どう見ても田舎のイモ姉ちゃん(て差別語?)。あ、なんと、googleで画像検索してみたら、トゥヤー役のユー・ナンは女優らしい華やかさを持つ美女である。げに恐ろしきは女優なり。よくも化けたもんです。美しくもイモにもなれるとは、化粧ってすごいねぇ。

 それはともかく、こういう映画を見て、けなげなトゥヤーの姿に胸打たれるなどという感想はわたしにはちっともわいてこなかった。こんなふうに犠牲になってもいいのか? 釈然としない。そもそも、夫が障害者になったからといって妻が身売り同然に再婚する必要があるとは、やっぱり中国の社会主義ってその程度のものだったのね。

 映画を見ているうちにどんどん怒りがこみ上げてくる。遊牧民の貧しさ、石油成金の拝金主義、枯れる大地、そういった点描に、近代化の中でいっそう貧しくなるモンゴルの人々の悲劇が凝縮されている。元夫付きで再婚すると言い張るトゥヤーはある意味したたかでもある。いったい誰と結婚するのか、石油成金の金に目がくらむのか、それとも純愛を告白する同級生に心を動かされるのか、それとも…。誰が結婚相手なのかとやきもきさせて最後まで物語を引っ張るだけの面白さはあるし、トゥヤーの逞しさや献身や打算に、現代を生き抜く女性の悲哀を込めて、感動的な作品である。感動的ではあるが、どう考えても釈然としないわたしはやっぱり日本という富める国に住む権利意識の高い人間なのだろうか。(レンタルDVD)

トゥヤーの結婚
図雅的婚事
中国、2006年、上映時間 96分
監督: ワン・チュアンアン、脚本: ルー・ウェイ、ワン・チュアンアン
出演: ユー・ナン、バータル、センゲー