吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

アメリカ、家族のいる風景

 ラストシーン間近になって思い出したのは今から10年ほど前、まだうちの息子たちが保育所に通っていたときのことだ。運動会かなにかの行事のとき、ランニングパンツ姿で筋肉隆々の足をむき出して園庭に立っていた夫のそばに男の子が近づいて、夫の足をなでなでとさすったのだ。
「おっちゃんの足、すごいなぁ」
「そうか? はっはっ、君のお父さんの足よりすごいか?」
「ぼくな、お父さん、おれへんねん」

 たったそれだけの会話なのに、今思い出しても涙が出てくる。その男の子の両親が死別なのか離別なのかは知らないが、父の姿を懐かしんだのか大人の男の人が珍しかったのか、「よそのおっちゃん」の足を珍しそうになでた男の子が求めた(であろう)「父」の姿を想うと、憐れでならない。これはもちろんわたしの独りよがりな「同情」に過ぎないけれど。

 父の姿を恋ながら父に見捨てられ続けた息子は、突然現れた父を受け容れることなどできないだろう。しかし、自分に息子がいることをある日知った父もまた、突然の恋のように息子を求めるのだ。この映画は、「逃げ続けた男」が現実に向き合おうと観念するまでの心の動きを丁寧に追った父子物語。

 「パリ、テキサス」以来二度目のヴェンダース監督とサム・シェパード(脚本・主演)のコンビらしいが、わたしには若い頃に見た退屈な「パリ、テキサス」よりずっと本作のほうがよかった。

 西部劇の撮影現場から馬ごと逃げ出した俳優ハワード・スペイシー(サム・シェパード、老けたねえ)、自分はすっかり落ち目だという自覚があり、投げやりな彼は気が乗らない仕事から逃げ出して、30年も会っていない母親の元へと赴く。そして映画出資会社の「ヒットマン」サター(ティム・ロス、この人も老けたねえ)がその後を追う。
 追いつ追われつのサスペンスかって? とんでもない。ゆっくりと時間が流れ、淡々とした中にときどき妙なものが写っているな、と思わせる不思議な作り方の映画だ。妙なもの、というのは例えばこの追っかけてくるティム・ロスであり、母親の遺灰が入った壺を抱いたままハワードの後を付け回す若い女スカイ(サラ・ポーリー、彼女は「死ぬまでにしたい10のこと」のときもよかったけど、ここでもいい雰囲気です)である。

 30年ぶりに会う息子にこれまた淡々と接する老母は、もうおそらく80歳を越えているだろうにシャンとした格好で、しかもおしゃれなスーツを着こなす素敵なおばあちゃんだ。この母から、「お前には息子がいるんだよ」と聞かされたからハワードはびっくり。そして驚くだけではなく、息子に会うために旅に出るのだった。かつて何人もの女と浮名を流し、セックスとドラッグに溺れて世間を騒がせた男、ハワード・スペイシー。独り身でとうとう初老を迎えた彼が求めるものは「家族」なのだろうか……

 かつて短い間だけ関係を持ったウェイトレスのドリーン(ジェシカ・ラング。老けたけど綺麗ですね)を探してハワードはモンタナ州の町までやって来た。もう30年近く会っていないドリーンと再会するや、彼女は驚いて、しかし笑いながら静かに言う。
「まあ、時間がかかったわね」

 この科白の粋なこと!

 この映画では、明るい空の下、ゆったりと時間が流れる。現実と向き合うことから逃げ続けた男が人生の黄昏どきに求めたものが家族であり血縁であったとしたら、それはあまりに陳腐といえよう。だが、その陳腐なものに翻弄されるのがまた陳腐な人生しか生きることのできないわたしたちの姿なのだ。

 本作は、「どんなに否定しても否定できない血の絆」を訴えるだけの映画ではない。しかし、こういうテーマはやはり何かそういう問題が心に響くような境遇にある人でなければなかなかピンと来ないものがあるのではなかろうか。最後は確かに感動的だ。劇場内では泣いている人もいた。ただ、わたしにはあまり響くものがなかった。あ、もちろん、なんともいえない雰囲気のある、いい映画であることは否定しません。淡々とした感動が味わえます。

DON'T COME KNOCKING
制作年 : 2005
上映時間:124分
制作国:ドイツ、アメリカ合衆国
監督: ヴィム・ヴェンダース
製作: カルステン・ブリュニヒほか
原案: サム・シェパード
    ヴィム・ヴェンダース
脚本: サム・シェパード
音楽: T=ボーン・バーネット 
出演: サム・シェパード
    ジェシカ・ラング
    ティム・ロス
    ガブリエル・マン
    サラ・ポーリー
    フェアルーザ・バーク
    エヴァ・マリー・セイント