吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

悲情城市

   台湾で長らくタブー視されていた1948年の「2.28事件」(中国本土からやって来た外省人=国民党と台湾人が衝突し、2万人を越える犠牲者が出たといわれる)を描いた作品。テオ・アンゲロプロス監督の「旅芸人の記録」にも似た作りにはなっているが、出来のほうはかなり差がある。骨太の政治劇というよりは美しい抒情詩のような映画だ。小津安二郎がやくざの出入りを撮ればかくや、と思わせる場面がいくつもある。ロングショット、扉の隙間から室内を覗き込むような固定カメラ、ゆっくりしたパン。侯孝賢は、決して寄らずアップを撮らず、観客の強い感情移入をあえて避けながら作品を撮った。
 1945年8月15日日本からの解放の日、天皇の放送が流れる中、林家の長男に息子が誕生した。物語は、この日から4年間の林家を追う。町の元締めヤクザのような立場にある林家の当主には4人の息子がいたが、次男は戦死、四男は8歳のときから耳が聞こえなかった。四男を演じるトニー・レオンは香港の二枚目スターだが、台湾語がまったく理解できないため、監督は彼を聴覚障害者の役に設定したのだという。
 物語は四男文清を中心に進むのだが、文清の耳が聞こえないため、彼の登場場面ではしばしば筆談によって会話の流れが中断される。そのため、時間の流れの微妙な停滞に観客もまたいらついたり、あるいはまた文清と同じようにその場の出来事から疎外されたりする。これがこの作品に独特の雰囲気をもたらすのだが、淡々とした静けさやライティングの美しさや初々しい恋愛の叙情感がいいと思うか、逆に緊迫に欠ける間延びした映画だと思うかは評価の分かれるところ。
 ハリウッド映画ならアップと短いカットの連続で迫力を出すはずのやくざの出入りシーンも、あくまでロングショットで撮るものだから、遠い夢の中の世界の出来事のように思えるし、台北で殺戮が起きているという政治的事件も、その詳細がいっこうに伝わってこない。劇中の人物と同じく、その事件の様子は観客もまた画面から流れてくるラジオ放送に頼るのみだ。何が起こっているのか、映画の中の地方都市に住む人々と同じように観客もまた不安とイライラを募らせる。
 かくのごとく、この映画は政治の核心に迫らないし、そこに触れない。生々しい殺戮の場面ではカメラは引きの位置から撮るため、そこで起こっている出来事が現実味を帯びて見えない。また、文清とその親友がそもそもなんで国民党政府に逮捕されなければならないのか、彼らはいったい具体的に何を主張し何をしていたのか、不明だ。
 この映画を見ていまさらながらにわかったことは、本省人(台湾人)と外省人(大陸人)との対立の根深さと、中国は多民族国家であり台湾語と広東語と上海語の通訳が必要という複雑な事情だ。
 DVDの特典映像に映画の時代解説や、監督へのインタビューがついているので、これは必見です。というか、極端に説明不足の映画なので、台湾戦後史を予習するか特典映像を見ないと理解できません。わたしは本編を1週間かけてちょっとずつ何度も見てやっとなんとかわかったというような次第で…。
 レコードプレイヤーからローレライが流れる中、文清と恋人ヒロミが微笑みながら筆談を交わすシーンには柔らかな光が溢れて、たいそう美しい。侯孝賢監督は政治劇には向かないんじゃないか。こういう、人物の内面を映し出す叙情的な場面を印象深く撮る人なので、政治より心象風景を撮っていたほうが似合っているような気がする。(DVD) 

制作年 : 1989
上映時間:159分
制作国: 台湾
監督:侯孝賢
脚本: ウー・ニェンツェン、チュー・ティエンウェン
撮影: チェン・ホァイエン
音楽: 立川直樹、チャン・ホンイー
出演: トニー・レオン、シン・シューフェン、リー・ティエンルー、チェン・ソンヨン、カオ・ジエ