吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

陽はまた昇る

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 かつて、SONYのベータマックスとビクターのVHSが規格競争を繰り広げた時期があり、結果はVHSが勝利した、という出来事があった。20年ほど前の話だ。そういえばベータってあったよなあというぐらいにしか覚えていない。記憶の風化は早いものだ。

 圧倒的な企業力と開発力、潤沢な資金を誇るSONYに対抗して、ビクターは開発競争に勝利した。その涙と感動の美談がこの物語だ。
 ビクター本社から横浜工場に異動させられた技術者加賀谷事業部長(西田敏行)に与えられた仕事は、人員2割削減だった。彼は、全従業員のリストを大久保次長(渡辺謙)に作成させ、「一人も首を切らない」という決意を固める。不採算部門のビデオ事業縮小を考えていた本社筋に抵抗し、加賀谷事業部長は「首切りの替わりに新製品の開発」を選んだ。
 それからが彼を始めとするスタッフの不眠不休の奮闘の始まりだった。SONYのベータは1時間録画しかできない。加賀谷たちはは2時間録画が可能なVHSを開発し、通産省からの規格統一の圧力には、大御所松下幸之助への直訴で決裁を仰ぐという蛮勇も敢行し、規格競争に勝利したのだった。

 この映画は、人間加賀谷の生き様をドラマティックに見せ、開発競争の実態を描いてみせる。同僚たちの仲たがいあり、本社の圧力あり、家族の病気あり、ヘッドハンティングあり、なかなか起伏に富んだストーリーを組み立ててあるので、一気に見せる。ただし、作品の作りは小さく、テレビドラマでも見ているようなので、DVDかビデオで見るので充分だろう。そういえば、もうVHSもDVDに押されて間もなく市場から姿を消す。このような涙ぐましい努力も技術の進歩には勝てない。それから、負けたほうのSONYが全然見えてこないのだが、一方的にビクター側から撮るのではなく、SONYの事情も知りたかった。

 過労死寸前まで必死になって働く企業戦士の姿は、決して安直に「会社のため」という動機づけでは語れないものがある。人には夢があり、夢のためなら誰もが努力を苦と思わない。そういう、古きよき時代の人情や倫理観に訴えてくる作品だ。何よりも、一人も解雇しないという決意で臨んだ加賀谷の人間性に観客は素直に好感を寄せるだろう。ただ、そのためには不眠不休の努力が必要であり、結果的には技術屋の苦労も果実は本社のエリート達が吸い上げてしまうだろうこと、そして株主を喜ばせるだけという厳然たる現実があるのだが、そういう点までは映画は描いていない。

 SONYと言えば、ビクターの技術者江口(緒形直人)の恋人がSONYの社員だったけど、全然ドラマに無関係だった。余計な色物を出してくる必要はなかったのに。彼女のシーンは全部カットすべき。

 資本主義社会である限り競争はなくならない。そして、劣った条件下にある人々が懸命に努力する姿にわたしたちはこれからも感動するのだろう。競争に勝つためには過労死しようが家庭を犠牲にしようが、それは尊い犠牲だと思い涙を流すのだろう。それが「美しい物語」なんかではなく、もっと違う生き方があってもいい、などと言うためにはオルタナティブな社会と経済システムを呈示しなければならない。それができない限り、これからもわたしたちはこの物語に感動し続けるしかない。(レンタルDVD)

2002
上映時間 : 108分
制作国 : 日本
監督: 佐々部清
製作: 高岩淡
原作: 佐藤正明
脚本: 西岡琢也
    佐々部清
撮影: 木村大作
音楽: 大島ミチル

出演: 西田敏行
    仲代達矢
    渡辺謙
    緒形直人
    篠原涼子
    真野響子
    石橋蓮司
    倍賞美津子
    江守徹
    津嘉山正種
    國村隼
    樹音
    夏八木勲
    井川比佐志