吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

シャヒード、100の命

パレスチナで生きて死ぬこと(展覧会とシンポジウム)
 それはとても不思議な展覧会だった。

 小学校の体育館をふたまわりほど小さくしたホールの3方に白いパネルが張り巡らされ、そこには10センチ四方ほどのモノクロ写真が100枚貼られている。写真の下に一行の文字が書かれたプレート、その下に30センチ四方くらいの透明プラスチックの立方体が打ち付けてある。その透明の箱の中には、きちんと折りたたんだTシャツ、片方だけの靴、結婚式の写真、携帯電話、数学のノート、灰皿、ネックレス、手紙、帽子、などなど、ごくありふれた日用品が入っている。奇妙なのは、その一つ一つの日用品がすべて撚り糸で括られていることだ。

 会場全体がとても薄暗く、入り口から全体を眺めわたしてもいったい何が展示されているのかよくわからない。ただずらっと壁面に並んで出っ張っている透明な箱が目に付くだけ。一瞬、何かのアンデパンダン展かな、と錯覚するような奇妙でなんの変哲もない展示物の羅列である。

 だが、その展覧会がパレスチナで殺された人々の遺品を集めたものだとひとたび知るや、たちまち、ありふれたオブジェに政治の磁場が宿り、一枚ずつの顔写真が意味を波打たせて見る者に迫ってくる。

 「オブジェ」は、透明のケースから取り出して集めれば単なるゴミの山にしか過ぎない。それもほとんどが燃えないゴミだ。だが、パレスチナの人々にとってはどこにでもあるような見慣れた日用品がこのように集められ遺影とともにあることにより、日用品のシニフィアン(意味するもの)は追悼というシニフィエ(意味されるもの)へと変容する。
 そこに働く磁場は見るものを息苦しくさせる。パレスチナで殺された100人、一人ずつの写真と名前と遺品を順に眺めていると、だんだん意味の過剰に疲れてきてしまう。わたしたちはそこに横溢するシニフィエを抗うことなく受け止めることを強要される。こういって差し支えなければ、これは一つの暴力だ。平和な日本に住む人々の想像力を、暴力が横行する地へとかりたてる強烈な磁力である(はしなくも、パネリストの一人、富山一郎氏がわたしと同じような感想を述べていた)。

 見る者に安逸の世界を約束しないような、展覧会。見る者の感受性を試す展覧会。そして、そこから言葉を紡ぎ、知恵をめぐらせることを求める展覧会。それが、シャヒード(証言、証人)展だった。

 この展覧会のデザインを担当したパレスチナ人美術家のサミール・サラーメさんは、「死よりも生を見つめていたい。これ以上のパレスチナ人の死には我慢ならない。と同時に、イスラエル人の死も我慢ならない」と、シンポジウムで述べた。わたしはこの言葉に救われた気持ちがする。これ以上の暴力と流血は誰にとっても我慢ならない。誰の血であっても流されてはならない。そう思う。

 パレスチナの地では、自分達で決めた合意すら守らず国連の決議も無視してイスラエルの爆撃が続く。パレスチナ人を強制的に排除して植民を進める暴力国家イスラエル。追い詰められたパレスチナ人達はインティファーダとよばれる蜂起を決行し、中には自爆による攻撃をも辞さない若者達が後を絶たない。

 鵜飼哲氏が、「日本でよく自爆テロと報道されるが、あれは間違いである」と指摘された言葉が強く印象に残る。「テロとは、武力行使をする意志のない民間人に対する暴力である。武装していない民間人を攻撃することをテロと呼ぶ。そういう意味では、テロはアメリカがイラクでやったことだ。パレスチナ人がイスラエル兵相手に行う自爆は、テロではなく、自爆攻撃である。自爆という方法が問題なのであって、あれはテロとは呼ばない」

 自爆であろうが、銃による攻撃であろうが、もう互いを殺しあうことはやめるべきではないのか。平和への願いを込めて、なおかつ物事の一面的な報道への警鐘を鳴らす意味で、鵜飼氏はこのことを指摘されたと思う。

 京都でのシンポジウムは2時に始まり、終わったのは7時半。わたしが少し遅刻して会場に到着したときには椅子が足りないほどの盛会だった。延々5時間半もの長丁場だったが、聴衆はほとんど減ることなく、熱心に最後まで聞き入っていた。わたしも最後まで退屈せず議論に集中して聞き入ることができた。こういうシンポジウムも珍しい。

 さて、ここでブレイク。ちょっと雑談を。

 遅刻すること30分近く、ようやたどり着いた会場の入り口で見つけた崎山政毅さんをつかまえて、「お久しぶり! ちょうど今、あなたの本を読んでいるのよ。サインして」と鞄から取り出した『サバルタンと歴史』にサインをおねだりし、ついでに文句もチクリと垂れた。
「あなたの本は難しすぎて読めないよぉ〜、時間がかかってしょうがないないわ。わたしにもわかるように書いてよね」
すると崎山氏はにこやかに笑って「難しく書いてしまったことは反省しています」
 (でも彼の本は、とてもいい本なのだ、おもしろい。いい本だと思う)

 崎山さんだけではなく、今回のパネリストはわたしの友人たちだ。懐かしい面々に会いたくてわざわざ京都まで行ったのだが、皆元気そうでなによりだった。それにしてもこういう企画、昔は学生が立案し、学者や実践家を呼んで来て講演会などをもったものだが、いまやその学生たちがそのまま歳食って研究者になり、今度は自分達で企画出演している。友人達と笑いあってしまった。
「ねえ、ずーっと昔からおんなじことやってるよね。昔は自分達が学者に来てもらう立場だったのに、今じゃ、全部じぶんたちでやってる。企画も出演も」
「そうだよ、ほんと。全部自分らでやるんだぜ。日の丸ひきずり下ろすことまで(笑)」
「今じゃ、学生がたまになんか企画すると立て看ひとつ作れなくて、けっきょく教師が作ってやってるんだって。みんな嬉々としてビラ書いたりしているらしいよ。教師がいちばん嬉しそうだって!」
「後に続く世代を育てなかった俺たちの責任だよなぁ。しょうがない(苦笑)」

 シンポジウム後の懇親会では、お互いの本の後書きの悪口を言い合ったり、なんやかんやと楽しいひと時を過ごした。先日、大阪府立大学の公開講座でお話を聞いた細見和之さんとは名刺交換して、ひとしきり談笑。サミール・サラーメさんはお酒が大好きで、何度もワインで乾杯していた。パレスチナの人々はみんな酒を飲まないのかと思いきや、それはとんでもない一面的な見方であった。

 この展覧会は9月に沖縄と松本でも開催されます。詳細はシャヒード展のHPをご覧下さい。

 京都シンポジウムの詳細は以下のとおり(シャヒード展のHPより)


 「証言とその奥行き/モノと人間のはざまで言葉は…」
日時: 8月17日 午後2時〜6時30分
会場:立命館大学国際平和ミュージアム
出席者:サミール・サラーメ、鵜飼哲一橋大学)、冨山一郎(大阪大学)、 井上明彦(京都市芸術大学)、細見和之大阪府立大学)、岡真理(京都大学)、崎山政毅(立命館大学)、西成彦立命館大学
入場無料
主催:「シャヒード、100の命」展実行委員会
共催:立命館大学国際平和ミュージアム、立命館大学国際言語文化研究所
協力:「シャヒード展」京都準備会


趣旨:
この追悼展は、2000年9月29日に始まった民衆蜂起アル・アクサ・インティファーダの戦没者を記念するために考案されました。その目的は、わたしたちを取り巻いている「死」に光をあて、日々の死者数という無味乾燥で個性のない表現を打破し、喪失感とその不当性に耐えていかねばならない遺族の方々に敬意を表することにあります。シャヒードに人間らしい敬意を払う方法は、この人たちの人生を、愛情と尊厳を込めて世に知らしめることではないかと思われました。この人たちを人間として─ひとりの少年として、ティーンエジャーとして、若者として、父親として、祖父として、祖母として─とらえようとすること。この人たちの人生の広がりを感じとるため、逸話や玩具や写真などを通じて、その現実や夢を理解しようとすること。それぞれのオブジェの平凡さが、現実そのままの人生を回想することの助けになります。語源的には、シャヒードとは「誠実な証人」 "faithful witness"という意味です。それゆえ、この100の人生の記録のひとつひとつが証言であり、それらは全体として単純な合計よりも大きなものを示していると言えるでしょう。パレスチナ人であることの意味、それぞれの人生に引きつがれ、その軌跡を決定することになった条件を、雄弁に語るものです。シャヒードたちは年齢や素性や出身地にかかわらず、占領によって手枷足枷をはめられた生活という現実を共有していました。このような状況のもとをたどれば、ナクバ[1948年のイスラエル建国に伴う祖国喪失]によって一族全体が住んでいた土地を追われ、すべてを失ったということに行きつきます。それ以降も、よりよい生活をめざす機会は拒まれ、難民としての惨めな生活が続きました。権利の喪失、隷属、中断された子供時代、「オデュッセイア」風の異境放浪、住居破壊、殺害、傷害、投獄などの物語がとめどなく繰り返されました。占領のくびきを逃れたかのように見えた人々も、最終的にはその影響に屈して困窮の中で早世していきました。それでも、これらの人生は、押さえつけることのできない人間の自由への憧れと不屈の闘争心を表現しています。いつの日か、わたしたちも、死者を弔うばかりでなく、彼らに許されるべきであった《自由に生きる》ということが、できるようになることを願ってやみません。