吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲

「ノスタルジー」は、かつて病名の一つであった。17世紀末、スイスで作られた医学用語であるという。戦地に赴いた兵士達が遠い故郷への郷愁にとり憑かれて衰弱していく、その病状に対してつけられた呼称だ。それがいつしか肯定的な意味へと読み替えられるようになり、20世紀の後半にはついに「ノスタルジー産業」なるものまで登場した(細辻恵子「ノスタルジーの諸相」『自尊と懐疑』(筑摩書房)所収、を参照)。
 このアニメは、ノスタルジーが病であることを思い出させる。「懐かしくて気が狂いそうだ!!」と叫ぶ、しんのすけの父ひろしの言葉こそ、この映画のエッセンスを凝縮した科白だ。
 ノスタルジーの社会的機能の一つは現代文明のマイナス面への注目をそらすことだと言われているのに(同上書参照)、この映画では逆に、ノスタルジーが現代(21世紀)の矛盾を暴き出し、現代を否定・破壊する方向へと向かわせる。つまり、ノスタルジーが病であることを示し、過去を振り返り耽溺することの誤謬性を暴き出しているのだ。

 本作は巻頭でまず、70年万博の象徴太陽の塔」を大写しする。これは実写ではないか? 3Dか? とにかく、この瞬間にまずあの高度経済成長の象徴であった万博に胸がときめく。懐かしいパビリオンの数々。「あ、ソ連館や、あれは大阪ガス! 三菱未来館も!」と次々に30年も前の建物の名称がすらすらと記憶から零れ落ちてくる。実はわたしは万博には、児童鼓笛隊の一員として出場した経験を持つ。万博が終わった後、収益金のおこぼれで作られた記念メダルを貰ったが、それはまだ実家のどこかにあるはず。万博建設に対する反対運動があったことを大人になってから知ったが、当時のわたしがそんなことを知るはずもなく、小学6年生の子どもにとって、万博は夢のようなワンダーランドだった。
 今回のクレヨンしんちゃんの舞台は、この70年万博を始めとした懐かしい昔を再現してくれる「20世紀博」というテーマパーク。そして今回の悪役は、秘密結社イエスタディー・ワンスモアの首領ケンちゃんと、その恋人チャコ。彼らは21世紀の現実(「外の世界」)を無に帰して、世界を丸ごと20世紀へと帰そうとするのだ。その悪企みに敢然と立ち上がったのが、我らがかすかべ防衛隊である!

 もちろん毎度お馴染みのギャグは満載で、大人も子どもも大笑いする場面はふんだんにあるのだが、全編通してほとんど大人だけを対象に制作したのではないかと思われるシーンが頻出する。35歳以上の大人を泣いて喜ばせる内容になっているのだ。
 そして本作がこれまでと異なるのは、悪役のケンちゃんが、世界征服をたくらむ単純馬鹿な悪人ではないということ。21世紀は醜く、生きるに耐えない世界だと、「あの頃のぼく達」に戻ろうとする。そう、高度経済成長のあの頃、未来を夢見ることができたあの頃、人々が下町で暖かい情を通わせながら生きていたあの頃、四畳半一間の同棲時代のあの頃、ビー球・べったん・ゴム跳びのあの頃! 悪役ケンちゃんはクールだ。その上そこはかとなく寂しげで悲しげだ。とても憎めない。ただ一つ不思議なのは、彼ら秘密結社が、自分達だけのノスタルジーに浸っていればいいものを、他の人々を巻き込もうとすることだ。そして、人々のノスタルジーをかきたてる目的も、ノスタルジー産業を起こして金儲けしようとすることではないということ。

 ここに描かれたのは、ノスタルジーという病を患う悲しい人間の性(さが)。そして未来は決して手放してはならないというメッセージ。過去を懐かしがるのは悪いことではない。美しいことですらある。けれど、わたしたちは過去へは戻れない。過去に生きることはできない。
 この作品、けっこう奥が深いのだ。

 悪人をやっつける力と目的が家族愛、という無難な着地に落ち着くところが気に入らないが、大人にこそ見て欲しいアニメ。わたしは、これを見て泣いた大人を何人も知っている。もちろんつれあいは大泣きでした(^o^)

 それにしても、古い記憶を呼び覚まして人をノスタルジーの病の淵に追いやるものが<匂い>、そしてその淵から現実世界へ覚醒させるのも<匂い>とは、なかなか仕掛けが憎い。匂いは、もっとも人の記憶を刺激するものらしい。だから残り香は切ないのだ。実に切ない映画でした。笑って笑って泣きたい人は絶対観よう。(DVD)

89分、日本、2001
監督・脚本: 原恵一、演出: 水島努、プロデューサー: 山川順市、原作: 臼井儀人、音楽: 荒川敏行、浜口史郎
声の出演: 矢島晶子ならはしみき藤原啓治こおろぎさとみ納谷六朗関根勤小堺一機津嘉山正種