この映画をフェミニズムの視点から批判するのはたやすい。マルクス主義の視点から批判するのはもっと容易い。時代遅れだとか、わざとらしいとか、いくらでも悪口は言える。
でも言いたくない。
なぜなら、どこでロケをしたのだろうと訝るぐらいの美しい風景、水の流れ、人々の暖かさ、すべてが心に沁みわたる感動作だから。
物語は、雨で川止めを食った浪人とその妻が、安宿に身を置いた一週間を描く。そこで触れ合うさまざまな人々との心温まる交わりを、緑の山々と小川のせせらぎに乗せてしっとりとかつユーモラスに見せる。
情けなくも人のよい浪人三沢伊兵衛を、寺尾聡がほんとうに頼りなさげに演じるのがハマリすぎていて笑ってしまう。しかも、彼はひとたび剣を握ると人が変わったように全身に緊張がみなぎり、立ち姿も清々しい剣豪へと変身する。
能力がありながらそれを活かせない伊兵衛の不器用な生き様は、競争社会を過酷に生きる今のサラリーマンには心打たれる姿ではないだろうか。能力主義の掛け声も勇ましく、アグレッシブな資本主義だのグローバリズムだのと尻を叩かれ過労死するか、負け組になって失業するか、そんな現代社会をちょっと自嘲したくなるような映画だ。この作品には、「能力」とは何かを根源的に問うことなく人を評価し選別する社会への批判的眼差しが生きている。
もちろん気になるのはあまりにも「武家の妻」になりきっている伊兵衛の妻・たよなのだが、彼女が畳に座っている姿からはほのぼのとした靄が立ち上っているかのようだ。しかし、ラスト間近、領主の部下たちに決然と告げる言葉は実に凛々しく、たおやかさよりも雄雄しさを感じさせる。人は何のために生きるのか、どのように生きていくのかと妻に語らせたのはあざとい演出効果をねらっているのだが、心憎くも脚本が見事にツボを心得ていて、わたしは思わず落涙しそうになった。
寺尾聡はぴったりのはまり役、内助の功の宮崎美子は人のよい笑顔で観客を天国に連れて行ってくれる。作品は手短かにきっちりとまとめられているし、大根役者の三船史郎すら、声が親父(三船敏郎)そっくりで印象深い。とにかく最近の日本映画では3本の指に入る出色の出来だ。
疲れた中年サラリーマン必見の秀作。お奨め度高し。(レンタルビデオ)
製作年:1999
上映時間: 91分
製作国: 日本
監督: 小泉堯史
原作: 山本周五郎「おごそかな渇き」
脚本: 黒澤明
撮影: 上田正治
音楽: 佐藤勝