楽しいナショナリズム
島田 雅彦著 毎日新聞社: 2003.4
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埴谷雄高『死霊』文庫本第1巻を読み終えたあと、そのまま第2巻に突入すると病気になりそうだったので気分転換に手にしたのがこの本だ。
まぁ実に読みやすい。さすがは作家だけあって文章は巧いし、最後まで読ませてしまう。それにしてもこの文体、この口調、どっかで読んだ事があるような気が……。あ、チョムスキーか。でもチョムスキーよりずっと文章が巧いし内容もある。
ただし、本書を読んでもナショナリズムについてのお勉強にはあまり役立たない。新しい知見や大向こうをうならせるような卓見が書かれているわけではないからだ。とはいえ、偏狭なナショナリズムを舌鋒鋭く批判していく軽快な口調は心地よい。
ところがこの本、著者島田雅彦と天皇制との微妙な関係を反映して、皇室について言及したくだりになると急に切れ味が悪くなる。島田は、新しい小説がお蔵入りになったまま出版の目処が立っていないということを本書で告白した。出版できない理由は、その作品が皇室のプライバシーに関連し、皇太子妃の過去を彷彿させる内容を含むからだ。右翼の襲撃恐喝を恐れた出版社は及び腰となり、島田も家族を危険にさらしてまで出版するつもりはないという。その判断は正しい。
この国にはタブーがある。言論の自由があると思われている日本にも、ただ一つのタブーがある。天皇制について自由にものが言えないようでは日本が自由な国だとは言えない。
したがって、本書で天皇制についての論評が口篭もるような歯切れ悪さを見せていることを非難してもだめなのだ。読者が行間を目を皿のようにして読み、紙背を深読みしなければならない。なんだ、島田は左翼のくせに皇室に媚びているな、などと思ってはいけない。このビミョーな距離の取り方、このスタンス、これをこそハラハラドキドキしながら堪能しなくては本書を読んだ面白みが半減するではないか。
そして、島田のいう、「一民族専門の王権から、より普遍的な役割、たとえばローマ法王とかチベットのダライ・ラマのごとき役割を果たし得るのであれば、これまでとまったく違う天皇像が生まれるだろう」という発言は、「五族共和」「八紘一宇」へと容易に転落する危うさを含みながらもおもしろい提案だ。ただし、肝心の他民族がそれを受け入れるかどうかは別問題。
本書は確かにナショナリズムについて考えるとっかかりになるし、島田雅彦自身が左翼ナショナリストを自認しているので、いわゆる右翼的な愛国心とはどこが違うのか、考えるヒントはたくさん仕込んである。
小説家の評論はおもしろくないという先入観があったが、それを撤回することにしよう。
それにしても未刊の小説『美しい魂』が読みたくてたまらなくなった。読みたい読みたい!