立て続けに映画批評を読んだ。
どちらも癖のある、斎藤環氏と宮台真司氏の映画評は、互いに映画への偏愛をつまびらかにする、その偏愛ぶりが微笑ましい。
映画を愛する人の映画評はほんと、おもしろい。
というか、映画を愛していなければ、映画評も書けないのだ、実は。彼らの批評を読みながら、次に見るべき映画のチェックを怠りなく行うわたしもやっぱり映画マニア。
この二冊は映画マニア二人の個性が強烈に出た映画本だ。しかも、それぞれの専門分野に惹きつけての批評もたいへんおもしろい。映画評論のプロパーが書くよりもおもしろい。
偏っているだけによけいおもしろい。
この二冊についてはbk1に書評を投稿する予定。
内田樹さんの『映画の構造分析』とともにこれらの本はお薦めだ。
ただ、彼らはいずれも、映画批評を行っているというよりは、映画を使って社会システム論を展開したり(宮台。「実存批評」と本人は称している)、映画をつかって現代精神病理の分析を行ったり(斎藤環)、ラカンの解説をしたり(内田樹)というように、自分の専門分野の解説を映画を通じて行おうとしている。そういう意味では、映画の解説にはなっていない。
あ、ところで、学者の映画批評といえば、浅田彰と蓮実重彦とドゥルーズを忘れてはならないのだが、どーもこの人たちは何を言っているのかよくわからないので…
ぶくぶく(←沈没する音)
ところで、わたしが気に入らなかった映画「ユリイカ」について、斎藤環さんも宮台真司さんも絶賛しているものだから、ちょっと気になって、いったい自分でどんな映画評を書いたのか、読み直してみた。なるほど、内容に対する不満よりも、「声が聞き取れない」とかいう文句だったのね。あの当時は今の新しいホームシアターセットにするまえの崩壊寸前のTVモニターで見ていたし、しかもメディアがビデオだったので、画像音声ともに悪かったのだ。
「ユリイカ」はテーマや脚本はすごくいいと思ったのに、ダレタ演出だという印象ばかり残った映画だったのだ。あれほど意図(描こうとしたもの)と結果(描かれた作品)の乖離が甚だしいものも珍しいと思ったものだ。
だが、ひょっとしてもう一度DVDで見直したら違う感想を抱きそうな気がする。