下巻では憲法改正過程がスリリングに語られる。GHQの中で改正憲法草案を作ったメンバーの中にウィーン生まれのロシア系ユダヤ人女性ベアテ・シロタ(22歳)がいた。憲法の中の「両性の平等」項目への彼女の寄与は大きかったそうだ。
ジョン・ダワーの語り口はほんとうにおもしろい。だから、いろんな情景が目に浮かんでくるのだ。
わたしは思わず、彼女をヒロインに映画を作ってみたいと夢想してしまった。コンテまで目に浮かんだよ。
ところで、細々した事実を隅々まで目配りの利いた筆致で描くダワーだが、上巻で民法改正について述べたくだりには事実誤認があった。
日本の家制度は完全に払拭などされなかったし、戸籍を遺したことで事実上家制度は残存してしまった。どうもダワーには戸籍制度があまり理解できていないのではなかろうか。戸籍というのは実に細かい制度で、戸籍フリークでなければ知らないようなことがいっぱいあるのだ。ジョン・ダワーが少々間違えてもやむをえないかもしれない。
「近代天皇制」という宿痾を考えるに絶好の材料を提供してくれた本書は(本書だけではなく他に多くの研究書があるが、これほどおもしろく読ませるものも珍しい)、マッカーサーの「民主主義」と「天皇制」が対立するものではないことを具体的に叙述している。
「押しつけ憲法」と言われている日本国憲法だが、マッカーサーは本気で日本の民主化を望んでいたにもかかわらず、憲法を日本人の手で作らせなかった(日本側の憲法草案を一蹴した)。それはなぜか?
マッカーサーは天皇を守らねばならないと考えていたのだ。
マッカーサーは、彼が押さえ込もうとしていた超保守主義者たちと基本的には同じ心配から行動を起こすことを決意したのである。最高司令官の三原則の中で、天皇の地位の問題が最初に挙げられたのは偶然ではない。それは、マッカーサーがもっとも関心を払っていたことであった。戦争放棄や封建制度の廃止は彼にとって二の次で、天皇制と天皇個人を救うことに世界の国々からの支持を獲得するために必要だと彼が考えた条件なのであった。これはマッカーサーが約束していた日本の「非軍事化と民主化」を否定するものではなかった。天皇はこの方面でも救世主になりうるからである。憲法修正をめぐる緊張にみちた壮大なドラマは、日本の保守主義者たちが最も大切にしている目標が、まさに政府自身の超保守主義的傾向によって危険にさらされていると思われたところに端を発していたのである。(p119)
また、これも従来言われていることだが、戦後日本の経済を支えた基本構造は戦時中にできあがっていたこと。
戦後の諸制度には、戦時のシステムから引き継がれたものがあったが、それらは必ずしも軍国主義的なものではなかった。たとえば少数の民間銀行への金融依存度の増大と並んで、産業の下請けネットワークも、戦争のシステムの一部であったが、これらはすべて、戦後経済に置いて系列と呼ばれた構造をささえる心臓部となった。大企業では、株主への配当よりも、いわゆる終身雇用を含む雇用の安定が重視された。これが戦後日本に特有のシステムとして特筆されることが多いが、その本当の起源は戦争中に発する。経営や産業に対する「行政指導」のように、政府が積極的に役割を果たすやり方も、戦争に起源がある。敗戦の苦難の中で、先の見えない戦後聴きに直面した多くの日本人にとっては、こうした従来の制度を維持していくことは当然の選択のように思えたし、アメリカ人のご主人たちのしぶしぶの同意の下に日本人がやったことは、本質的には従来の制度を維持することであった。後に「日本モデル」と呼ばれ、儒教的価値のレトリックで覆い隠されたものの多くは、じつは単に先の戦争が産んだ制度的遺物だったのである。(p389)
占領軍は、到着した瞬間から日本の官僚組織を保護した。そしてそれによって官僚組織の役割と権威を高めた。……強力な官庁である通商産業省が創設されたのが、占領が終わる三年も前であったという事実は、日本の官僚組織を強化したのはアメリカであったことを最も鮮明に示す例である。
……占領軍はそれ自体が官僚組織であった。……
こうして、連合国最高司令官による新植民地主義的な上からの革命という変則的な事態は、諸刃の剣となった。それは純粋に進歩的な改革を推進すると同時に、統治の権威主義的構造を再強化した。船中のシステムと戦後のシステムが締め金(バックル)でつながっている――。そう表現する場合、連合国最高司令官こそがその締め金であったことを忘れてはならない。(p390-391)
<書誌情報>
敗北を抱きしめて : 第二次大戦後の日本人
ジョン・ダワー [著] ; 三浦陽一, 高杉忠明訳
; 上, 下. -- 増補版. -- 岩波書店, 2004