吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2030年ごろかも。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

生命観を問いなおす

森岡氏は生命倫理学の研究者なのだが、この生命倫理学という言葉から連想するような倫理学者とはちょっと違うようだ。彼は「生命学」という学問を提唱していて、「脳死は人の死かどうか」「臓器移植は是か非か」という問題を、単なる技術論や死生観を超えた文明論にまで発展させて論じている。

 本書では、生命倫理学と環境倫理学という学問を概観した後、エコロジー思想を紹介しつつ、その根幹にある「ロマン主義」を批判し、ディープエコロジーや生命主義が自然に還れと叫ぶのは本質を見誤っていると指摘する。「自然」や「生命」こそが悪の根源であり、「生命として生きていくということは、他の生命を抑圧し、それに暴力をふるい、それを支配しながら生きていくことなのだ。生命を抑圧する原理は、生命の内部にこそ巣食っている」と喝破する。

 この論にわたしは大いに賛同する。しかし、一方、ご本人はロマン主義に反対すると言いつつ、そのロマン主義に陥ってはいないかと危惧する。生命を抑圧する権力装置は人間の外側(社会システム)にあるのではなく、人の内部にあると言い切ったときから、<気持ちのもちようで環境問題や生命倫理の問題はクリアできる>と言ったことにならないか。社会システムは人の外部にあると同時に人の内部にある。世界は自己の内部に存在する。

 問題は、その内部でもあり外部でもある社会システムをいかように変革するかということではないのかと、わたしは単純に考えてしまうのだが。森岡氏が提唱されていること、追究せねばならないという「生命学」の思想が教えることは魅力的で示唆に富むのだが、ついつい処方箋を求めてしまうわたしは、
「で、そんでどうなるの? どうすればいいの?」と政策論を迫ってしまう。
が、これは今はひとまず禁欲すべきことがらなのだろう。

 本書の後半部分で、脳死をめぐって森岡氏は当時の上司であった梅原猛を批判している。梅原猛の反脳死論がデカルトの二元論に端を発する近代哲学批判にまで論及されていることを大いに評価しながら、そのデカルト批判の中途半端さを指摘し、『「臓器移植が、臓器をもらう人間のエゴイズムをサポートするシステムである」ということに対するまなざしが、希薄だ』と批判する。臓器を移植してでも生きようとする人間のエゴイズムを見つめる必要がある、その「生」への執着をこそ問題にすべきだというのが森岡氏の主張である。いわく、環境破壊は生命を忘れた近代哲学が生み出したのではなく、生命の欲望そのものがもたらしたのだと。

 おそらく近著『生命学に何ができるか』ではそのあたりが全面展開されていることと思うので、次は大いにこれに期待したいと思う。(bk1書評)

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生命観を問いなおす (ちくま新書
エコロジーから脳死まで
森岡 正博著 : 筑摩書房 : 1994.10