吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

岡本太郎の沖縄 完全版

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 「芸術は爆発だ!」という流行語も生んだ奇矯の芸術家、岡本太郎アバンギャルド(前衛芸術)に生きた太郎が、「ついに自分自身に出会った」と語ったのが沖縄への二度の旅であった。本作は、1959年と66年に太郎が撮影した大量の写真と映像、そして彼の著作『沖縄文化論』から構成されるドキュメンタリーである。さらにそこに現在の沖縄の風景と人々への取材の映像を重ねて、岡本太郎を魅了してやまなかった沖縄を現代へと召喚する。

 彼は70年万博のシンボル「太陽の塔」をデザインしたことで広く知られている。18歳でパリに赴き、10年を過ごす間に絵画だけではなく哲学や文化人類学を学び、パリがドイツ軍に占領される直前の1940年に日本に帰国した。

 彼が本物の民俗学者であることを窺わせるような鋭い視線と、見事に切り取られたフレームに写し取られた静止画の数々が、見る者を魅了する。

 映像には井浦新の静かなナレーションが心地よくかぶさる。その言葉は『沖縄文化論』から採られている。1960年前後の沖縄の離島では時が止まったかのような古い習俗が残り、巫女がいて、神事が行われていた。ほかにも、芭蕉布を染め上げていく手作業の見事さなど、画面にはまるで民博(国立民族学博物館)のビデオテークブースに居るかのような錯覚を覚えさせる映像が次々と繰り広げられていく。

 なんといっても、イザイホーという祭礼の圧巻の映像が見られることが奇跡のようだ。白装束の巫女たちが集団で行うこの神事は12年ごとに行われているのだが、1978年を最後に40年以上実施されていない。この映画では1966年に太郎が撮影したイザイホーの動画が迫力あるモノクロ映像で繰り広げられる。

 そんな画面に釘付けになりながら、私の頭には「岡本太郎オリエンタリズムに毒されていたのではないか」という疑惑が湧いてくる。前近代に置いてきぼりになった沖縄の離島で古き良き日本を発見して欣喜雀躍する太郎を想像し、何か割り切れないものを感じてしまう。その疑問は、太郎が久高島の風葬の墓場を暴いたという批判を受けた「事件」でいよいよ深まる。

 だが、本作はその問題の事件を掘り下げ、関係者の証言を重ね、真相へと近づこうとする。果たして太郎は憧憬とノスタルジーの他者として沖縄を見ていたのだろうか。沖縄に自分自身を発見したと語る太郎の物語をどう見るか、見終わった後に語り合いたくなる、そして太郎の作品に出会いたくなる一作だ。

 彼の沖縄はどこにあるのか。その名も『岡本太郎の沖縄』と題された写真集と『沖縄文化論』を読み、岡本太郎展を見に行く。そこに何か答が見つかるかもしれない。いや、答を見つけようとすることこそが太郎が嫌ったことかもしれない。凝視しよう、岡本太郎は底知れず深い。それをまざまざと見せつけられるドキュメンタリーである。

 この映画を見て、早速、岡本太郎展に出かけ、写真集と著作を図書館で借りたわたし。今月はどっぷりと岡本太郎に漬かっていた。

 大阪中之島美術館で開催中の「岡本太郎展」では、芸術が爆発している展示室がいくつかあり、その爆風に吹き飛ばされてちょっと疲れたわたしは絵画よりも造形のほうに心惹かれた。特に「座ることを拒否する椅子」などの一連の椅子がお気に入り。巨大な掌(たなごころ)を椅子にした作品も大好きだ。この展示会では太郎が沖縄で撮影した写真も何点か展示されていたが、予想以上に点数が少なく、さらにあまり目立たない。何しろ他の絵画などの作品のインパクトが強すぎるので、モノクロ写真は太刀打ちできない(笑)。

nakka-art.jp

 そして、岡本太郎の著作『沖縄文化論』は彼の文才を知らしめる作品だ。その筆致にぐいぐいと惹きこまれていく。ぜひ映画と作品展と写真集と著書と、全部を堪能してほしい。(機関紙編集者クラブ「編集サービス」2022年8月号に掲載した記事に増補)

2022年製作/127分/日本

監督:葛山喜久
製作:葛山喜久
企画:杞憂ティダ
撮影:山崎裕 中村夏葉
音楽:嘉手苅林昌 大島保克 ロニー・フレイ
語り:井浦新

キングスマン:ファースト・エージェント

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 今年の2月に鑑賞したのだが、今頃アップ。

 いままでのキングズマンで一番面白かった。その理由は歴史劇であったこと。歴史といっても大昔ではなく第1次世界大戦が舞台になっている。キングズマン誕生の舞台裏が語られていて、その壮大な歴史が解き明かされるのが素晴らしかった。もちろんお笑いのツボはありとあらゆるところにあり、そして悲話もまた隠されていたということに涙をそそられる。

 キングスマン誕生以前の物語なのだから、当然にもここにはキングスマンは登場しない。コリン・ファースも出演していない。作風としてはずいぶんおとなしくなった感じはするが、その代わりに世界史を塗り替えるような大きなトリックの破天荒ぶりに感心したり笑わせられたりする。そう、「イングロリアス・バスターズ」のような偽史が語られていくのである。

 時は第1次世界大戦勃発前、ところは南アフリカ。植民地である南アに駐在するイギリス貴族が暗殺されそうになるが、本人は生き残り、若く美しい妻が犠牲となる。遺された幼い息子を立派に育てようと決意する貴族オックスフォード公(レイフ・ファインズ)。この場面でこれがボーア戦争だと気づいたあなたは世界史の点数が高かったに違いない。

 で、時が過ぎ、幼かった息子は執事や教育係の女性の手によって立派に育った。しかし世界はいよいよ不穏の空気を高める。この映画では、世界史上の重大事件がいろいろと登場し、そのすべてが秘密結社のしわざという陰謀史観に彩られている。

 なんといっても見どころはロシアの怪僧ラスプーチンとオックスフォード卿の一騎打ちである。ラスプーチンを演じているのがなんと、リス・エヴァンス。本当に怪僧に見えるから笑ってしまう。しかもこのラスプーチンの身体能力の高さが驚くばかりで、踊って踊って人殺し! チャイコフスキーの「序曲1812年」がこれほど効果的に使われた映画をわたしは知らない(笑)。

 この映画は実在の人物を巧妙に配していて、イギリス・ドイツ・ロシアの皇帝が従弟どうしであったことも知らなかったわたしにはとても面白かった。イギリスとドイツの王室が親戚というのは知っていたが(ヴィクトリア女王の孫)、ロシアもそうだったとは。どうりでこの3人は顔がよく似ている。映画では一人三役でトム・ホランダーが演じていて、これもお笑いどころ。このあたり、ヨーロッパの複雑な列強事情が垣間見えて、歴史のおさらいになった。

 で、この映画もやっぱりエンドクレジットの途中でボーナスカットがついている。このカットもおおっと思わせる仕掛けがあって見逃し厳禁。

2020
THE KING'S MAN
イギリス / アメリカ  Color  131分
監督:マシュー・ヴォーン
製作:マシュー・ヴォーンほか
原作:マーク・ミラー、デイヴ・ギボンズ
脚本:マシュー・ヴォーン、カール・ガイダシェク
撮影:ベン・デイヴィス
音楽:マシュー・マージェソン、ドミニク・ルイス
出演:レイフ・ファインズジェマ・アータートンリス・エヴァンスマシュー・グードトム・ホランダー、ハリス・ディキンソン、ダニエル・ブリュール

パワー・オブ・ザ・ドッグ

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 この作品がアカデミー賞作品賞にノミネートされたことがまずは驚きだ。このようなハリウッド映画らしくない作品(とはいえ、遅れてきた西部劇という風情はある)がアカデミー会員に受け入れられたということは慶賀である。この映画の雄大な映像を見れば、これが家庭用に配信された作品であることが第二の驚きだ。十分に劇場公開に堪えるだけのクオリティがある(やはり劇場でも公開されたようだ)。

 1920年代半のモンタナ州を舞台とする、ある牧場主一家の愛憎劇。若き跡取り息子フィルはパワハラの権化のような粗野な男。しかし実はイェール大学を卒業しているインテリという意外さに驚く。フィルの弟ジョージが子連れの未亡人ローズと結婚し、フィルとジョージ一家の計4人で同居し始めたことから邸宅の中に不穏な空気が漂い始める。フィルがローズを陰湿にいじめるのだ。それだけではなく、ローズの連れ子でひ弱な大学生であるピーターにも嫌がらせをし、あからさまに侮辱する。このピーターを演じたコディ・スミット=マクフィーが折れそうなほど細くて足が長く、顔が異様に暗くてまるでサイコパスのように見えるところが不気味だ。

 しかしやがてフィルの態度が徐々に軟化し、ピーターに親しく接するようになっていく。二人の関係に変化が現れたかに見えたのだが…。

 緊張と萎縮で冷や汗がでそうな心理劇が展開し、徐々に不穏な空気が漂い始める。結末に至って、さまざまな小道具が伏線だったことに気づいて感動した。フィルのひねくれた性格が実は彼の秘密からもたらされていることが観客にもわかるようになってくる後半、それまで嫌な男にしか見えなかったフィルにわたしは同情心を抱く様になった。

 映画全体を覆う静かな恐怖は、抑圧者と被抑圧者の間に横たわる支配の論理がもたらしている。フィルの威圧に萎縮して心の均衡を失っていくローズ。母ローズの様子に心を痛めるピーター。そんなピーターをいつしかかわいがるようになるフィル。この三すくみの関係は、フィルたちの隠居している両親が屋敷にやってくるときに緊張の頂を築く。

 「ブロークバック・マウンテン」を髣髴とさせるような設定、風景。これもまたさまざまな差別が剝き出しだった時代の、胸の奥に秘めた複雑で歪んだ心理がもたらした悲劇の一つであろう。

 台詞ではなく映像で語らせるカンピオン監督の演出力は高い。ヴェネチア映画祭で監督賞を獲ったのも納得の作品だ。ほかにも多くの映画賞を受賞している。結果的にはアカデミー賞監督賞を獲った。納得の出来である。(Netflix

2021
THE POWER OF THE DOG
アメリカ / イギリス / ニュージーランド / カナダ / オーストラリア  Color  127分
監督:ジェーン・カンピオン
製作:ジェーン・カンピオンほか
原作:トーマス・サヴェージ 『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(角川文庫刊)
脚本:ジェーン・カンピオン
撮影:アリ・ワグナー
音楽:ジョニー・グリーンウッド
出演:ベネディクト・カンバーバッチキルステン・ダンストジェシー・プレモンス、コディ・スミット=マクフィー、フランセス・コンロイキース・キャラダイン

ジョーンの秘密

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 非常に興味深く見ることができた作品。事実に基づくと言いながら、ジョーンの人生についてはかなり創作されているようだ。

 主人公ジョーン・スタンリーは年老いて夫に先立たれ、静かに一人暮らしをしていたが、ある日突然逮捕される。それは50年以上前にソ連に原爆開発の資料を渡していたというスパイ容疑だった。取調室で供述するジョーンの現在と過去の回想がシームレスに綴られていく。ジョーンの傍らには弁護士である息子が付き添うが、母の正体を知らなかった息子ニックは混乱し、母を責める。しかしジョーンは「わたしは何も悪いことはしていない」と開き直る。

 現在の老いて生気のなくなったジョーンをジュディ・デンチが演じ、若く賢く美しい時代をソフィー・クックソンが演じる。どちらも力演・熱演であり、スリリングで緊迫感のある展開だ。この映画を観終わってから「史実」のほうをWikipedia(英語版も含めて)で確かめたのだが、ジョーンのモデルになった女性の学歴や家族、職業生活についてかなり変更してあることがわかった。何よりも「史実」のほうでは彼女は共産主義者であり、ソ連を支持していたので長年にわたるスパイ活動を行っていたわけだが、映画(小説)のほうは彼女がソ連を支持しているわけでも共産主義者でもなく、平和のために行ったことだとされている点が大きく異なる。

 さらに、スパイ物語というよりもロマンスの側面が大きな比重を持つように変更されていることにより、読者や観客の興味をそそるように意図されている。このような作話が成功しているのかどうかは受け取る人によると思うのだが、「愛と平和のために重要機密を盗んだ」と言われるよりもむしろ、「共産主義者として自分の信念に基づいて命がけで機密を盗んだ。共産主義者にとって祖国はない。プロレタリア国際主義万歳」と言われるほうが説得力があると、わたしは思う。というのも、ここで描かれる愛にはそれほど命をかけるほどの強さが感じられないからだ。なので、映画ではそれほど「愛」については深堀していない。

 それよりも、ここで作者が提起しているのは、「核抑止力」という問題である。実際に50年以上、核兵器は使われなかった(今では80年近く、と言える)し、長崎以降に核爆弾を投下された都市はない。平和共存というソ連の戦略を肯定する意見をジョーンも語っているわけだ。それが歴史を振り返って正しかったのかどうか。その重いテーマがずっしりと心に残る。

 史実を元に小説を書いた原作者やそれを元にこの映画を作った製作者たちが史実のどこを変えたかにわたしは関心を持つ。ジョーンをオクスフォード大学首席卒業の優秀な学生に変え、原爆開発の現場で物理学の知識を持つ女性として描いた点は現代的なアレンジだ。恋した男に影響されて流されただけではなく、自らの意志を強く主張している点もしかり。

 ラストで息子と手を取り合って記者会見に臨んだジョーンの不敵にも見える笑顔、これが忘れられない。(Netflix

2018
RED JOAN
イギリス  Color  101分
監督:トレヴァー・ナン
製作:デヴィッド・パーフィット
原作:ジェニー・ルーニー
脚本:リンジー・シャペーロ
撮影:ザック・ニコルソン
音楽:ジョージ・フェントン
出演:ジュディ・デンチ、スティーヴン・キャンベル・ムーア、ソフィー・クックソン、トム・ヒューズ、ベン・マイルズ、テレーザ・スルボーヴァ

コーダ あいのうた

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 今年2月に観た映画だが、今頃アップ。鑑賞当時、アカデミー賞最有力とか言われていた作品。さすがに大変面白くまた感動できるものだった。唯一、並み居るコーラス部員たちの中で一際目立つほどの歌の素質があるはずの主人公の歌がたいしたことなかったってことが残念。

 本作はフランス映画のリメイクで、基本の設定はほぼ同じだが舞台を山の酪農家から漁村の漁師一家に変更。コーダはCODA(Children of Deaf Adults)= ⽿の聴こえない両親に育てられた⼦ども”の意。音楽用語のCODA(楽曲の終結部分)ともひっかけていると思われる。

 ヒロインは高校生のルビー。彼女はマサチューセッツ州の漁師一家に育ち、両親と兄と共に早朝まだ暗いうちから漁に出る。家族の中で健聴者は彼女だけで、ほかの3人は耳が聞こえない。そのため、家族以外の人との交渉や漁船の操船の補助など、彼女の役割は大きい。将来はこのまま家族の世話をして漁船に乗り続けるつもりでいたが、ふとしたことで合唱クラブに入部したために、彼女の運命は大きく変わる。歌が大好きだったが人前で歌ったことのないルビーの才能を見抜いたクラブ顧問の音楽教師が、「受験のための特別レッスンをするから、音楽大学を受験するように」と勧めてくれる。だがルビーの決心は揺れる…。

 ルビーの家族3人は実際に聴覚障害をもつ俳優が演じている。だからだろう、役者たちの手話が芸術的なまでに見事だ。ルビーの両親はちょっと変わっていてとってもファンキー。兄もなかなか負けん気が強くてハンサムで面白い。この陽気な3人に囲まれて、暗いのはルビーだけというのがなんだか妙な感じ。障害のある3人が明るく前向きでいつもジョークたっぷりの会話を交わしているのに、ルビーはそんな家族と自分の夢の板挟みになって悩んでいる。

 昨今「ヤングケアラー」という存在がメディアで取り上げられるようになったが、まさにルビーもその一人と言えるだろう。家族にとってルビーは大切な通訳だ。愛する家族のために役に立ちたい。でも自分の夢を捨ててもいいのか? ルビーの夢を否定するかのような家族のふるまいを見て、わたしは腹を立てていた。そんな家族の犠牲になることはないから! 

 家族というものは愛すべき厄介者である。愛しく大切に思う一方、手がかかるうえに私を拘束する抑圧者である。しかしそう思う私自身がかつては家族に世話されていたわけだし、近い将来には家族の保護・介護を受けるのだろう。この映画では家族自身が自分たちの身の回りのことを差配しようと決意し、経済生活の困難にも果敢に立ち向かおうとしている。そういう点ではアメリカ的価値観を体現するような一家でもある。

 努力が報われるかどうかは運だとサンデル先生も言っている。そもそも努力できること自体が天からの恩寵だ、と。ルビーに歌の才能があるのはまさに恩寵(ギフト gift)だ。そして彼女の才能を見出してくれたV先生との出会いは「運」だし、その後、彼女が練習できるような時間を作り出せたのは彼女自身の努力と家族の理解による。いろいろな幸運が重なって、ルビーはついに大学入試に臨むことになる。

 この映画にはいくつもの感動ポイントがあり、その一つはルビーたちのコーラス部が歌っている舞台を家族が見ているシーン。ルビーの家族はまさに「見ているだけ」しかできない。せっかくの歌を聴くことができないから、孤立感に苛まれるだろうし舞台を見ているのも退屈だ。そんな耳の聞こえない家族の状況を映画の観客に体感させる演出、これが実によかった。

 テンポよく進む演出が冴え、聴覚障害をもつ役者たちの演技も魅力的で、「そんなこと実際にはありえんやろ」という偶然の作話も含めて、楽しめる。オリジナル作の「エール!」を観てみたくなった。

2021
CODA
アメリカ / フランス / カナダ  Color  112分
監督:シアン・ヘダー
製作:フィリップ・ルスレほか
脚本:シアン・ヘダー
オリジナル脚本:ヴィクトリア・ベドスほか
撮影:パウラ・ウイドブロ
音楽:マリウス・デ・ヴリーズ
出演:エミリア・ジョーンズ、マーリー・マトリン、エウヘニオ・デルベス、フランク・ロッシ、フェルディア・ウォルシュ=ピーロ、ダニエル・デュラント

1941 モスクワ攻防戦80年目の真実

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 わたしは本作を1月に観たのだが、ウクライナへの侵攻が始まって半年近くが経とうとする今、改めてロシア人のナショナリズムを鼓舞する戦争映画だったと思い出す。

 ドツが独ソ不可侵条約を突然破棄して大戦車隊を組織してモスクワ目指してやってきている! これを阻止せよと命じられたのは士官候補生たち、若者部隊。まだ訓練の途中で実戦経験もないのにいきなりドイツの最強戦車隊と肉弾戦を展開するのである。

 やはり戦場は地獄で、でもそこでも恋の花は咲き、美しい女子看護兵をめぐって青年たちの恋のさや当てが始まる。ロマンスありアクションありの戦争映画。どこまでが史実なのかよくわからないが、こんな軍備でよくドイツ軍を駆逐できたもんだと驚くばかり。以前、「スターリングラード」(2000年)を見たときも思ったが、全然ダメダメなソ連軍がなんで勝てたんだろうか不思議。ただし、今度の映画では自国兵を後ろから撃つソ連兵なんかは登場しない。ハラショー!

 「ソ連・ドイツ両軍の戦車、装甲車、大砲、航空機などの兵器は、博物館に保管されている“本物”が使用された」(allciinemより)というから凝りに凝っている。

 新書大賞2020を獲った、大木毅 著『独ソ戦』を読まなくては!(レンタルDVD)

2020
THE LAST FRONTIER
ロシア  Color  142分

監督:ヴァディム・シメリョフ
製作:イゴール・ウゴルニコフ
脚本:ヴァディム・シメリョフ、イゴール・ウゴルニコフ
撮影:アンドレイ・グルキン
音楽:ユーリ・ポテイェンコ
出演:アレクセイ・バルドゥコフ、イェフゲニー・ディアトロフ、セルゲイ・ベズルコフ、ルボフ・コンスタンチノヴァ、エカテリーナ・レドニコワ、セルゲイ・ボンダルチュク

偶然と想像

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 今年の正月に映画館で見た映画。2022年の初映画であり、おみくじで大吉が当たったような興奮と満足感を得られた作品だった。

 3部オムニバスの物語はそれぞれが「偶然」をテーマに展開する。3つの話に共通点はなく、それぞれが完全に独立している。共通するのは、やたらと台詞が多くしかもその台詞を棒読みさせるという演出方法をとっている点だ。この「棒読み」は賛否両論があると思うが、もちろん完全な棒読みではなく、登場人物たちが緊迫感のある台詞を応酬するときに際立つ。長広舌の棒読みは、言葉が輪郭を持って立ち上がるという効果を生む。

 台詞が多く、しかもおおむね二人か三人の中心人物しか台詞がないので、役者の演技力に映画の成否がかかっていると言える。そして3話共にそれぞれの演技が光っている。

 第1話、モデルをしている若くて愛らしくまたどこか小憎たらしい表情を見せる芽衣子と、その親友のつぐみがタクシーの中で延々と恋愛話に盛り上がる。つぐみが偶然出会って意気投合したというその男が実は…。女優たちの実年齢が離れすぎているために、芽衣子とつぐみが親友という設定に無理があると感じたが、芽衣子の小悪魔的な魅力に目が釘付けになった。不思議な親近感を覚えて、個人的にはこの第1話が一番好きだ。

 第2話、大学教授に単位を落とされて留年してしまった男子学生が、自分の「愛人」である社会人女子学生に頼み込んでハニートラップをしかけようとするが…。これは大学教授が主役の一人であるだけに話の内容が高等で、小説論にもなっているところが興味深かった。教授を誘惑しようとする女子学生(実は子持ちの主婦でもある)と教授との緊迫感溢れる会話には思わず手に汗握る。だからこの話のタイトルは「扉は開けたままで」なのだ。しかしこのハニートラップの行方が予想を裏切ってどんでん返しとなる展開にはあっと驚いた。そんなダジャレみたいな…(笑)。でもあるあるかもしれない。

 第3話。20年ぶりに出会った元女子高生たちのスリリングな再会。しかし実は人違いだったという落ちが早々に判明する。物語はここから動いていく。同性愛、運命の人、人違いなのに互いに相手の思い出の人物になりきるという展開。枯れていく夫婦生活の倦怠に気づく中年の危機。いろんな要素がさりげなく詰め込まれていて、キアロスタミ監督の「トスカーナの贋作」を想起させるような、「なり切り」演技を見せる女優たちの、素人が演じている演技をプロが演じるという難しさを見せてくれる。

 わたしは3話すべてがたいそう面白く、満足の映画体験だった。ひとそれぞれどれがお好みか語り合うのも楽しい作品だ。

 「偶然」というものが存在しなければ物語は駆動しないということを十分わきまえている濱口竜介の、映画的な偶然をいかにも必然のように見せかける脚本の手練手管が見事で、濱口監督、天才やんかぁ~!と快哉を叫ぶ一作であった。

2021
映画ドラマコメディ
日本  Color  121分
監督:濱口竜介
エグゼクティブプロデューサー:原田将、徳山勝巳
脚本:濱口竜介
撮影:飯岡幸子
出演:古川琴音 中島歩 玄理(第1話)
渋川清彦 森郁月 甲斐翔真(第2話)
占部房子 河井青葉(第3話)