吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。

アメリカン・ユートピア

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  7/15に鑑賞。

 面白いという前評判をうろ覚えで見に行ったので、音楽パフォーマンスの記録だとは知らなかった。てっきりブロードウェイのお芝居かなにかを見せてくれるのかと思ったら、 そうではなくて、でも「なんじゃこりゃ?」とつまらなく思った冒頭からどんどんどんどん面白くなって、もう最後は涙が出そうなほど感激していた自分を発見して我ながら驚いた。

 要するに、歌手デヴィッド・バーンとその仲間たちのライブを記録したドキュメンタリー映画なのだということに気づくのに数分以上かかったわけだが、そもそもデヴィッド・バーンを知らなかった不明を恥じた。今や70歳近くなった白髪のデビッド・バーンがグレイスーツをきっちりと着て登場した瞬間に、「なんだ、おじいさんのライブ? 歌も別にうまくないし」などと侮った自分を叱りたい。

 彼らのライブ映像は半端ない臨場感と高揚感に満ち、そのシンプルでありながら比類ないパフォーマンスに圧倒される。舞台の上の全員が男女とも灰色のパンツスーツを着用し、いわばきちんとしたサラリーマン風の恰好で、しかし足元は裸足で演奏し踊る。彼らの肌の色はさまざまで、持っている楽器もさまざまで、その楽器は皆が首から下げているので自在に動くことができる。わたしは小学生だったころの鼓笛隊を思い出したよ、わたしゃ小太鼓をたたいていたのだ。

 振り付けも斬新かつ楽しい。舞台美術も極めてシンプル。ほとんど何もないといっても過言ではない。そのシンプルさの中に力強いリズムがあるため、観客も舞台と一体となってノリノリで踊り拳を突き上げ歓声を上げる。歌詞は社会の不寛容を批判し、力強い言葉で連帯を語る。日常生活のなにげない風景を切り取ったような歌詞もあれば、最後にはブラック・ライブズ・マターを訴える壮大なプロテストソングで会場は感動の坩堝と化す。ここでわたしは号泣しそうになりましたよ、実に。

 このステージを映画館で観られたことは慶賀である。この迫力、この音響。これを小さなモニターで見るなんて絶対にダメダメダメ。わたしは椅子から立ち上がって踊りそうになったよ、次は生のステージを見てみたい。一方で、ライブでは味わえない映画ならではのカメラワークの妙も堪能できた。頭上から、足元から、アップで、ロングで、さまざまな位置からこの世界に没入できたことの幸せ。これまで見たスパイク・リーの作品の中でもっとも素晴らしかった。

2020
DAVID BYRNE'S AMERICAN UTOPIA
アメリカ  Color  107分
監督:スパイク・リー
製作:デヴィッド・バーンスパイク・リー
音楽:デヴィッド・バーン
出演:デヴィッド・バーン

JUNK HEAD

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2021年6月末に見た。

 驚異的な映画である。よくこんなものをほとんど一人で作ったな、と驚嘆したものだ。ストップモーションアニメは究極のアナログ作業だ。やはり完成までに7年もかかったという。その緻密な造形には恐れ入るが、なによりも、原作・脚本・監督した堀貴秀の想像力と創造力に脱帽である。おまけに彼は声の出演もしている(笑)。そもそも登場人物たちが何語でしゃべっているのかもわからない。だから字幕がついているという国籍不明のアニメである。

 で、物語は。未来の世紀、生殖能力を失った人類は起死回生をかけて地底へと調査隊を派遣する。そこにはかつて人類が生み出したマリガンという人工生命体が生息しており、独自の社会を築いていた。地下の迷路には様々な生物や非生物たちの生態が描かれ、想像を絶する気色の悪い有象無象が生息している。

 いしいひさいちの漫画に「地底人」と「最低人」の闘いというのがあったが、あれを思い出してしまった。

 この作品はもう一度見たら全然違う感想が生まれそうな予感がする。とにかく初見ではひたすら驚いて口あんぐり状態で圧倒されてしまった。脚本はちゃんと考えて作ったという感じとはほど遠いのに、なぜか物語にはぐいぐいと迫ってくるものがある。この映画の世界に没入して呆けているうちに終わりました、という感じ。

 ストーリーはあるようなないような。登場「人物」のキャラも不定形でよくわからない。とにかく渾沌と破廉恥と、子どもじみた下ネタ(う●こ、ち●こ)が満載のグロイ作品。続編もあるようだが、もう見たくない。いや、怖いもの見たさで観にいってしまうかも。ああー、見るだろうなきっと(笑)。

2017
日本  99分
監督:堀貴秀
原作:堀貴秀
脚本:堀貴秀
美術監督:堀貴秀
セット:堀貴秀、杉山雄治、牧野謙
衣装:堀貴秀、牧野謙
編集:堀貴秀
音響効果:堀貴秀
音楽:堀貴秀
アニメーター:堀貴秀、三宅敦子
人形:堀貴秀、牧野謙
映像効果:堀貴秀、杉山雄治、三宅敦子
声の出演:堀貴秀、三宅敦子、杉山雄治

 

DUNE/デューン 砂の惑星

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2021年10月に鑑賞。

 これはもう美術や演出が素晴らしいの一言である。しかし、三部作の第1作であり、作品全体を評価するのは難しい。物語の構造全体も見えていない。だからなのか、アカデミー賞では作品賞にノミネートはされているが、有力候補という下馬評は上がっていないようだ。映画としてのスケールの大きさから言っても文句なく受賞できるものだろうが、下手に三部作に分けたのがいかんかった? いや、サーガ全編がそろった暁には受賞必至ではないか。などと、まだ作られてもいない第2作と第3作に期待が高まるほどだ。

 遠い未来の宇宙戦争という物語の構造は「スターウォーズ」と同じだが、コメディタッチの楽しい「スターウォーズ」(とりわけ第4話~6話)と違って、「砂の惑星」は文字通り砂だらけの乾いた惑星でのドロドロとした陰謀と殺戮が描かれる暗い物語だ。

 デヴィッド・リンチ監督の過去作の失敗を乗り越えて満を持して製作されたという今作は、ヴィルヌーヴ監督が重厚な演出で魅せてくれる。ハンス・ジマーの音楽も「ブレードランナー2049」と曲調がまるで同じで、重低音が響き渡る。わたしは画面を見ながらたびたび「ブレードランナー2049」を脳内で召喚していた。この監督・作曲のコンビは健在である。砂漠の風景は「アラビアのロレンス」に匹敵するスケールと美しさであり、これぞ映画館で見る以外には鑑賞のしようがないという作品だ。

 役者たちも豪華であり、美しき主人公シャラメ君とその上品な美人母レベッカ・ファーガソンを見ているだけでも恍惚とする。さらにシャラメ君の父を演じたオスカー・アイザックも渋くて格好いい。というわけで、主役一家は全員美男美女で性格も穏やかで品があり、美徳の塊のようである。もうストーリーなんかなくてもいいし、こういう美しい善人を見ているだけで幸せだ。大スクリーンで醜いものなど見たくない!

 と言いながら、見終わって既に何か月も経っているので、詳細はほぼほぼ忘れている。しかし没入感のすばらしさ、まさに映画を見ているという至福感を味わわせてくれるところがヴィルヌーヴ監督の手腕だ、映画ファンを喜ばせることを心得ている。陰鬱で枯れた惑星の、すべての生と希望を拒絶するような雄大な砂の風景に心を沈めながら、それでも「未来が見える」という能力を持つ主人公が瞥見するその未来に観客は何かを託そうと次回作を夢見る。映画の中の未来へ向かう重い決意が観客に響き、観客自身が映画という物語装置そのものの構造に取り込まれていく思いがする。

 ちょっとほめ過ぎたかもしれないが、もう一度大きなスクリーンで見てみたい。続編はもちろん見ます。

2020
DUNE: PART ONE
アメリカ  Color  155分
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
製作:ドゥニ・ヴィルヌーヴほか
原作:フランク・ハーバート
脚本:ジョン・スペイツ、ドゥニ・ヴィルヌーヴエリック・ロス
撮影:グレイグ・フレイザー
音楽:ハンス・ジマー
出演:ティモシー・シャラメレベッカ・ファーガソンオスカー・アイザックジョシュ・ブローリンステラン・スカルスガルドゼンデイヤチャン・チェンハビエル・バルデム

テレビで会えない芸人

 

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 鹿児島放送のテレビドキュメンタリーが元になっている作品。なんで鹿児島?と思ったら、松元ヒロの出身地だった。しかしテレビに出ない(出られない)芸人の芸を撮影してもテレビで放送できないやんか!(笑)。というわけで、映画になったのであった。元のテレビ番組は様々な賞を受賞した優秀作である。そこにさらに映像を追加して劇場版ができた。

 松本ヒロは1952年生まれで、陸上選手として名を馳せたため、スポーツ推薦で法政大学に入学したが、陸上を止めてしまった。パントマイムが得意でその道で食べていこうとし、ネタを仕込み続けた。1989年に結成した「ザ・ニュースペーパー」が人気を博したが、98年に独立してソロとなった。以来20年以上、テレビに出ないが舞台のチケットは完売するという人気芸人としてピン立ちしている。

 松本ヒロのしゃべくりネタは時事ネタ・政治ネタ・映画ネタがあり、いずれも立て板に水の如くにしゃべり倒し、観客を笑いの渦に巻き込む。そりゃまあ、テレビで放送したら「事故」ものだわな、天皇制批判、権力批判が満載。放送局が二の足を踏むのもやむを得ないのか、それとも放送局は意気地なしなのか。この映画の監督たちは一過性のものとして流れて消えてしまう舞台芸をなんとか固着させて残したいと考えた。そして松元ヒロを追いかけ、私生活や舞台を記録していく。

 本作で出番はほとんどないのに絶大な存在感を示すのが松元ヒロの妻、俊子さん。松元は彼女が作るおにぎりが大好物で、舞台裏で練習場でいつも食べている。この妻がなかなかシャキシャキした方で、好感度高し。松元の練習にも付き合う。舞台であれほど饒舌なのに、練習中には台詞を間違えたり詰まったりしている松元の姿が意外な感じがするのだが、いざステージに立つとものすごいオーラが発せられている。さすがは芸人だ。

 社会風刺や政治批判だけではなく、映画「こんな夜更けにバナナかよ」をネタにした話芸もなかなか感動的だ。もう一つの持ちネタは「憲法くん」。自身を日本国憲法に見立てて、その自分が最近リストラに遭いそうになっている、と危機を語る。滔々と朗読される日本国憲法前文には涙が出そうだ。

 小さな映画だけれど、とても面白い。もっと見ていたいと思いながら終わってしまってそれが残念。この人がテレビに出られないのを、「仕方ないね、こんな過激な芸じゃ」とか「まあテレビ局としても苦しいところやねえ」などど妙に物分かりよく納得してしまうのが怖い。そのうちいつか来た道がくるかもしれないやんか。

2021
日本  Color  81分
監督:四元良隆、牧祐樹
プロデューサー:阿武野勝彦
撮影:鈴木哉雄
音楽:吉俣良
出演:松元ヒロ

テロ,ライブ

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 今年の初映画はAmazonプライムビデオで。超絶面白いという話を聞いていたので見た。ほんんまに面白い。よくこんなエンタメ映画を作ったもんだ、金もかけている。すでに日本映画は韓国に発想でも規模でも遥かに負けている。後塵を拝しているのだからもう日本映画は諦めて韓国と一緒に作ったほうがいいんじゃないか。

 舞台は放送局のラジオ・スタジオからほぼ一歩も出ないのに、ものすごい迫力と臨場感がある。主人公は人気テレビキャスターから左遷されて今はラジオ番組のキャスターとなっているユン・ヨンファ(ハ・ジョンウ)。彼の番組に視聴者から電話がかかってくる。「今から麻甫大橋を爆破する。俺の要求を呑め」と。いたずらだと思って無視したら、放送局のすぐそばにある麻甫大橋が本当に爆破された。幸いにけが人がいない模様だったが、犯人の要求を呑むふりをしてこの事件をきっかけにTVに返り咲こうと狙うユン・ヨンファは実行犯との通話を生中継する。

 という冒頭の展開がスピード感あふれていて、さらにこの先、カメラは手持ちでライブ感を出していく。現場のに麻甫大橋に急行した女性記者はユン・ヨンファの元妻で、彼にとっては未練たっぷりで復縁を求めている相手でもある。元妻が現場からの中継中に橋が再び爆破され、10数人の市民と共に橋の真ん中に取り残されることになってしまう。スタジオのユン・ヨンファがつけているイヤフォンにも爆弾を仕掛けたと犯人に脅され、彼は視聴率アップを狙う上司の命令を聞かずに犯人と交渉を始める。

 犯人の要求とは、2年前の麻甫大橋の補修工事で転落死した3人の建築作業員の遺族に大統領からの謝罪を求めるものであった。しかし、テロリストとは交渉しないという大統領の意志は固く、犠牲者は増えていく――。

 鬼気迫るハ・ジョンウの演技が素晴らしい。誰もかれもが俗物で、上昇志向と自己保身しかない連中ばかりの放送局の中で、ユン・ヨンファ自身も汚辱にまみれていることが暴露されていく。犯人は早々に実名を明かしているからすぐにも捕まえられそうなのに警察の動きは鈍い。

 テロリストの要求がひたすら大統領の謝罪であるという点に犯人への同情がそそられ、居丈高な警察庁長官のほうがよほど悪役面をしているように見える。誰よりもひどいのはユン・ヨンファの上司であり、他局の連中もみなこの事件を視聴率稼ぎにしか思っていないメディアの状況が醜く描かれる。

 最後の結末まであっと驚く場面が続き、この作品が弱冠32歳の青年が撮った初監督作品であることが信じられないほどの緊迫感だ。人物の造形がステレオタイプに過ぎるとか、細かいところで辻褄が合わないとか、設定がおかしいとか、ストーリーは穴だらけだが、瑕疵が気にならないほどの演出力でぐいぐいと見せていく。政治批判の香りを振りまきながら終わるのは中途半端だが、エンタメアクションにしては切ない結末が泣ける。(Amazonプライムビデオ)

2013
THE TERROR LIVE
韓国  Color  98分
監督:キム・ビョンウ
脚本:キム・ビョンウ
撮影:ピョン・ボンソン
音楽:イ・ジュノ
出演:ハ・ジョンウ、イ・ギョンヨン、チョン・ヘジン、キム・ホンファ、キム・ソジン、イ・デヴィッド

残された者 -北の極地-

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 紅白歌合戦などは見向きもせず、ぬくぬくとした自宅の居間に寝そべりながら見たのはこの北の極地の物語。わたしが役者だったら絶対にあんな映画には出たくない!という寒くてたまらない過酷な撮影だったに違いない。

 映画はいきなり小型飛行機が雪原に埋もれている場面から始まる。マッツ・ミケルセンが一人で黙々と雪の地面を掘るような作業していて、氷の中に糸を垂らして魚を釣ったりしている様子が映るのだが、なにせ台詞も説明もないから何をしているのかわからない。が、たちまちカメラが鳥瞰の位置につくと、彼がしていた作業が「SOS」の文字を白い地面に描くことであったのがわかる。この衝撃的な場面、彼の状況を説明するのにこれ以上のショットはあり得ない。

 彼はどうやら遭難したようで、毎日救助を待っているのだが、なかなか来ない。で、やっとヘリコプターがやってきたと思ったらあっという間に墜落。で、乗組員のうち女性だけが助かるが、彼女は重傷で動けない。自分一人のサバイバルならなんとかなるかもしれないのに、とんだお荷物を背負い込んでしまったマッツだが、懸命にその若い女性を助けようとする。で、じっとしたらいいのにとわたしは思うのだが、じっとしないのだな、これが。ソリに女性を載せて引きずりながら徒歩で北極観測基地まで脱出行を試みる。いやー、それは無理っしょ。

 という、究極のサバイバル。食料は? 水は? 熱源は? 白熊さんもいますよ。第一、女性は重傷で意識があるのかどうかも怪しい。あんな調子では1日10キロ行くのが限界だろう。しかしマッツは諦めない。地図を頼りにひたすら歩き出す。

 この後、もちろんいろんな絶望的なシーンが繰り返され、白い雪原を行く二人には刻一刻と死が近づいてくる。ここまで努力して報われずに死ぬのなら、最初から遭難飛行機の中にじっとしてたほうがましではないのか?

 この映画はほとんど台詞がなく、マッツの職業も過去も遭難のいきさつも何も説明がない、ただ目の前にある状況だけが映し出されていく。観客は「現在」の彼の状況に没入し、彼と一緒にサバイバルを体験する。もう無理だ!諦めよう! わたしは何度も心でそう叫びながら、温かい部屋にいることも忘れそうなぐらいにイライラと疲れてくる。

 こんなとんでもない映画、これが実話だったらたまらないのだけれど、フィクションである。フィクションだからか、細部の描写に疑問が残る。寝たきり女性の排泄はどうしたのか? なんでほとんど食べていないのに生きていられるのか? しかし映画はそんなことにはお構いなく、ひたすら過酷なサバイバルに挑む男の姿を抉り出していく。

 じっとしていれば助かったかもしれない、救助が来たかもしれない。そんな希望にすがるよりも、一か八かの脱出を試みる、一歩でも今の状況から抜けることを考える、それが人間の性(さが)なのだろうか。マッツ・ミケルセンの渾身の演技に背筋も凍る。女がただ助けられるだけの存在という潔い設定も「政治的正しさ」を無視してわが道をゆく作品である。(Amazonプライムビデオ)

2018
ARCTIC
アイスランド  Color  97分
監督:ジョー・ペナ
製作:クリストファー・ルモールほか
脚本:ジョー・ペナ、ライアン・モリソン
撮影:トーマス・ウルン・トーマソン
音楽:ジョセフ・トラパニーズ
出演:マッツ・ミケルセン、マリア・テルマ

パーフェクト・ノーマル・ファミリー

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 ある日突然、両親が離婚するという。その理由が「パパが女性になりたいから」だと聞けば二度びっくり。というよりも驚天動地の、世界が裏返るような出来事に違いない。とりわけ思春期に差し掛かる難しい年ごろの少女にとっては言葉にできない思いがあるだろう。この映画は、大好きな父親が女性になってしまったという衝撃を受け止められずに苦悩する少女の物語。監督自身の実体験を元に作られている。

 デンマークの郊外で暮らす典型的な中産階級と思われる一家は、毎日幸せに過ごしていた。11歳のエマはサッカーに夢中で、そんな彼女に手ほどきしたのも大好きなパパだった。しかしある日、一家団欒の食事が始まるや両親の離婚を告げられ、その場で凍り付いた娘たちはそれなりの葛藤を経て平常心を取り戻そうとする。14歳の姉カロリーネはすぐに父の女性化を受け止めたようだが、エマにはそれができない。

 ホルモン注射を受けてどんどん外見が変わっていく父にも違和感を覚えるエマ。サッカーを通じて共感し愛情を深めていたはずの親子なのに、そのサッカーももはや二人の絆をつなぎとめることができない。学校の友人たちには陰口をたたかれ、恥ずかしい思いを抱えている大人しいエマと、父のトランスに理解を示す美しく大人びた姉カロリーネとが対比されて描かれている。

 エマを演じた子役のカヤ・トフト・ローホルトが繊細な演技を見せて見事だ。その不安や恥じらいや悲しみを、まさに目の前にいる一人の儚げな少女の存在を実感させるリアリティを以て観客に差し出している。

 日本の場合、両親が離婚すれば子どもは母親に引き取られるケースが圧倒的に多いが、この映画では娘たちをトランスジェンダーの父が引き取っている。彼らは元々裕福な中産階級であっただろう。知的レベルも高い一家であることがうかがわれるし、離婚してひとり親になっても生活レベルが下がったようには見えない。父がタイで性別適合手術を受けるだけの経済的余裕もある。とりあえず経済的な不安はなさそうな一家の中で、「これからはアウネーテと呼んで」という父親への反発を募らせるエマは、怒りを爆発させこじらせていく。

 観客はすっかりエマの視線に同調し、ハラハラするだろう。アイデンティティの変化や愛情の複雑な表出、そういったこの時期の少女に特有の精神的不安定さに輪をかける出来事に直面しているエマに、思わずエールを送りたくなる。

 日本よりはるかに多様性を尊重するデンマークでも、ほんの20年ほど前はこの映画に描かれたような偏見が満ちていたのであろう。タイトルの「パーフェクト・ノーマル」には皮肉が込められていると同時に、どんな家族でも愛と信頼さえあれば、それでパーフェクト、という理想も練りこまれているのではないか。「パーフェクト」な家族なんてないんだ、「パーフェクト」でなくたって構わない。見終わった後、「パーフェクト・ノーマル」の意味を様々に考えさせられる。(機関紙編集者クラブ「編集サービス」に掲載した拙稿を元に追記)

2020
EN HELT ALMINDELIG FAMILIE
デンマーク  Color  97分
監督:マルー・ライマン
脚本:マルー・ライマン
出演:カヤ・トフト・ローホルト、ミケル・ボー・フォルスゴー、リーモア・ランテ、ニール・ランホルト