吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

フリーソロ

 同じ監督の「メルー」を見たときにも驚異の映像に口あんぐりしたものだったが、今回はさらに恐怖の度数がアップ! こんなもの、よい子は絶対に真似してはいけませんよ!

f:id:ginyu:20190916092907p:plain

 今回の密着ドキュメンタリーの対象は、フリーソロと呼ばれる、ロープ無しの素手で断崖絶壁をよじ登るロッククライミングに挑戦する若者アレックス・オノルドである。彼が挑戦するのはカリフォルニア州ヨセミテ国立公園の恐るべき断崖エル・キャピタン。いまだかつて誰もフリーソロで登ったことがない壁に登ることを夢見た青年は、目的完遂のために訓練に余念がない。彼の親友であり尊敬する先輩クライマーのトミー・コールドウェルがアレックスに寄り添い、共に訓練に励む。

 寡黙な彼に寄りそう撮影クルーや恋人との日常生活も丹念に描かれ、偉業へと一歩ずつ近づくアレックスの様子を映し出す。

 しかし残念なことに、彼がなぜ恐怖のフリーソロに挑むのか、その心理は結局のところよくわからない。もともと寡黙なのか、彼は自身の内面をあまり語らない。恋人のことも本心から愛しているのかどうかもはた目には不明だ。こんな恋人をもった女性は不幸だとわたしなら思うが、それでも仲睦まじい二人の様子は微笑ましい。

 アレックスの母親が登場し、恋人が登場し、親友が登場し、彼のことを語る。それぞれが愛情をこめて語っているけれど、誰も彼の「核」の部分には迫っていないように思える。それほどまでに、この恐怖の偉業はわたしのような常人には理解できないことなのだ。

 それはともかく、もちろん圧巻のクライマックスシーンは900メートルの標高差のある一枚岩、エル・キャピタンへのフリーソロの場面である。カメラクルーの働きが素晴らしい。3人のカメラマンがそれぞれに登山家であるからこそ可能になった、あらゆる角度からの撮影が息をのむような絶景を生み出した。

 カメラマンたちは葛藤する。自分たちの存在がアレックスの集中力にとって邪魔になるのではないか、と。ひょっとしたら目の前で墜落するかもしれない。自分たちは「死」を撮影してしまうかもしれないという苦悩。どの位置から撮るべきなのか、入念な事前の打ち合わせがまた緊迫感を高める。映画本編には映っていなかったが、劇場用パンフレットにはカメラマンが絶壁に宙づりになってカメラを構えている様子が写されている。これも命懸けの撮影であり、アレックスとともに生死を分かち合った者だけが知る緊張と感動が観客に伝わる。

 信じられないようなアレックスのフリーソロには見ているほうの寿命が縮まる。わたしは見ているだけで足元がゾワゾワと血の気が引く思いがしたし、映画館の座席で腰が抜けそうな感覚に襲われた。それほど恐ろしいのだ。かれのすぐそばで回るカメラはその息遣いまで掬い取り、アレックスの疲労を観客にリアルに伝えて手に汗握らせる。地面から望遠カメラを構えているカメラマンが「とても見ていられない」と目を背ける様子も映し出されていた。そして信じがたいことに、アレックスはくたくたになっているはずのクライミングの途中でもカメラに愛嬌を振りまく。

 これは百聞は一見に如かずの映画なので、ぜひ実際に見てほしい。人は何のために生きるのか、生きることと死ぬことが一体となっているこのフリーソロとは何なのか、さまざまな思いが去来する必見の一作だ。 

フリーソロ(2018)
FREE SOLO
撮影:ジミー・チンクレア・ポプキン、マイキー・シェーファー
出演:アレックス・オノルド、トミー・コールドウェル、サンニ・マッカンドレス