吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

作兵衛さんと日本を掘る

ユネスコの世界記憶遺産に登録された山本作兵衛(1892-1984年)の炭鉱画とともに炭鉱労働から日本社会を照射するドキュメンタリー。さすがに6年という時間をかけて作られた作品だけのことはある。 

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 この映画にはいくつかの驚きがある。一つはなんといっても、100歳を超えた元炭鉱婦のインタビューが撮れたこと。実際に坑内で「後山」(あとやま)と呼ばれる石炭運びの仕事に就いていた橋上カヤノさんが登場する。1933年に女子の坑内労働は禁止されたが、実際には戦後まもなくまで女子の坑内労働は行われていたという。カヤノばあちゃんは今は介護施設に居るが、記憶も鮮明で達者な様子で、背負い籠の「テボ」を見るなり目を輝かせて「懐かしいなあ」と言い、その使い方をカメラの前で手振り身振り説明して見せる。その様子はまさに仕事のオーラルヒストリーだ。この「労働史オーラルヒストリー」の場面だけでももっと長く映像を残してくれてないだろうか。そして、次々に幼い子どもたちに先立たれたカヤノばあちゃんの過酷な人生がまた胸を打つ。
 作兵衛の娘や孫が登場して、祖父のこと、炭鉱のことを語る。その語りには炭鉱差別への怒りや差別に屈した自己への悔恨がにじむと同時に、父・祖父への敬意があふれている。ユーモラスな語り口調に見ているほうも思わず口元がほころぶ。
 インタビューに答える多彩な人々の語りが作兵衛の人生と炭鉱について彫琢していく。その名は森崎和江上野英信、上野朱、といった筑豊文庫になじみの有名人、そして作兵衛の画才を見出した画家菊畑茂久馬(きくはた・もくま)といった人々である。インタビューの合間に2000枚を超えると言われる作兵衛の絵のうち、代表的なものが幾度も繰り返し大写しになる。ナレーターが読み上げていくのは作兵衛自身が絵に添えた説明書き。
 作兵衛は日記も残していた。そこには戦時中の苦しい生活が書かれている。長男が23歳で戦死したことがほんとうに堪えていたようで、60代半ばで作兵衛さんが絵を描き始めた直接のきっかけは、長男の死の寂しさを紛らわすためだったという。
 日記はもちろんその当時のものだが、絵は違う。作兵衛の絵は記憶絵であり、驚くべき記憶力によって再現された炭鉱労働者の姿は眼前の様子をスケッチしたかと錯覚するほどだ。そして絵の余白には必ずといっていい、作兵衛さんの説明書きが付いている。ここがこの絵が「記録画」と呼ばれる所以である。絵のタッチじたいは、ちょっと絵の上手な小学生が描いたというような素朴なものであるが、そこに描きこまれた細かな筆遣いには画家作兵衛の炭鉱夫への柔らかなまなざしと、自らがたどった過酷な労働をただつらいだけのものとは思っていない魂の在りようが込められている。
 作兵衛さんの画集『筑豊炭鉱絵巻』はわたしも持っているが、大きなスクリーンで見る絵のほうが迫力と緻密さに勝る。
 作兵衛の日記には戦時中のつらい生活や、愚かな戦争へのシニカルな視線が正直に綴られていて、庶民がどのような目で戦争を見ていたかがよくわかる貴重な資料だ。炭鉱だけではなく、米騒動の記録も描かれている。
 面白いのは、作兵衛が何枚も同じような絵を描いていることだ。ほぼ同じ構図の絵を何枚も何枚も描き、いろんな人に渡したという。それらがスクリーンに映し出される。何度も同じ絵を描くうちに、何度も同じことをしゃべり続けて語りの型が決まってしまった語り部のような”作兵衛画”が出来上がっていったのだろう。
 圧巻は最後の壁画である。菊畑茂久馬が学生に描かせた模写が、これでもかとばかりに作兵衛の世界を再現する。
 失われた労働の世界と、差別と、抵抗と。この国の歴史を炭鉱から見る、そんな視点を作兵衛は指し示してくれている。それを抉った熊谷博子監督の手腕はさすがだ。「坑道の記憶」(大村由紀子構成、2013年)でも使われた映像を引用しつつ、名作「三池 終わらない炭鉱(やま)の物語」の映像作家がまた一つ、淡々とかつ力強い作品を世に出してくれたことを慶賀としよう。
111分、日本、2018
監督:熊谷博子
撮影:中島広城、藤江
音楽:黒田京子、喜多直毅
ナレーション:山川建夫
朗読:青木裕子