吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ヘヴンズ ストーリー

f:id:ginyu:20190506192823p:plain

 長い長い四時間半。わたしはiPadで小刻みに見てしまったから、映画の見方としては邪道に違いない。しかし、もしこれを劇場で見ていたとしても、長さは感じなかったのではないか。それほど、物語の強度が高く群像劇のアンサンブルが見事だ。ただし、個々の人物の心理が不可解だったり行動が理解できない部分が多々あるのが不思議なのだ。つまりこの映画は物語の整合性やリアリティを求めているわけではなく、寓話なのだから、物語の強度こそが問われているということに思い至る。

 その物語は、家族を殺された二人の人物を中心として巡ってゆく複雑に編まれた群像劇。幼いころに家族三人を殺された少女サトと、赤ん坊だった娘と妻を殺された青年トモキが復讐の歯車を回しあい、壮絶な結末へと運命の坂を転がっていく壮大な物語。廃墟となった鉱山跡と団地、そして離島の浜辺に立つ寂しげな団地群という、これ以上ないようなロケーションを舞台にしているところも映画世界に広がりと虚無感と時間の流れを感じさせる仕組みになっている。

 幼い少女から高校生に成長したサトと、新しい家族を持ったトモキを中心としながら、周囲には殺し屋代行業を裏家業にする警官などという、およそ現実味のない男が登場し、若年性アルツハイマー病の女(なんと、山崎ハコだった!)が現れて殺人犯を養子にし、というドラマ性の高い設定が次々と展開する。

 結局のところ、復讐の虚しさを訴える作品ではあるが、同時にその救いのなさから観客が何を掬い取るのか、という問いかけを最後に残していく。サトとトモキの家族はなぜ殺されたのだろう。なぜ彼らは惨殺されなければならなかったのか。答えの出ない問いもまた観客の頭と心にのしかかってくる。物語世界のインパクトに曝されたあと、もう一度振り返って見直してみたくなる映画だ。(Amazonプライムビデオ) 

2010、278分、日本
監督:瀬々敬久
製作:小林洋一ほか
脚本:佐藤有記
撮影:鍋島淳裕、斉藤幸一、花村也寸志
音楽:安川午朗
エンディング曲:Tenko『生まれる前の物語』