吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ドリーム

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 あふれる才能がありながら人種差別の壁にぶち当たって正当な評価も待遇も受けられなかった時代、黒人かつ女性という二重の差別の下にあった女性たちが自らの存在を認めさせるまでになる過程を描いた。
 東西冷戦という時代背景があるから、アメリカとしてもソ連に対抗するためには才能のある人間は誰でも登用するのが当たり前と言えば当たり前。この時期に黒人差別が撤廃の方向に向かっていたのはむしろ国家的な利害に一致していたといえるだろう。

 映画の時代は1960年代初頭。ケネディ政権の下で進む宇宙開発のチームの中には、計算専門の部署があった。当時のNASAではスパコンもなかったから結局人力で計算していたのね! 映画「アポロ13」でもいざとなったら計算尺で計算している様子が写っていたが、今ならPCであっという間にできる計算も当時は人間が一生懸命計算していたのだった。計算専門の部署では事務所にずらっと並ぶ机に向かって座っているのは黒人女性たちで、彼女たちが懸命に紙と鉛筆で計算している様子が映し出される。
 この物語の主要人物は三人の黒人女性たち。いずれも優秀な頭脳を持ち、向学心と向上心が強く、数学の才能があった。彼女たちはトイレが人種別であるために、作業所の近くのトイレに行けず、遠く離れたトイレに行かねばならない。そのために毎日往復何十分もの無駄な時間をトイレのために費やしていた。そんなこんなの不満を上司に訴えて彼女たちは自分たちの存在を認めさせる。もっとも、最初はおずおずと。彼女たちの優秀さに気づいた上司も一目置き、次々と理不尽な差別を撤廃していく。その上司がケヴィン・コスナー演じるアル・ハリソン所長だ。しかしその道はそう簡単なものではなかった。
 白人上司たちが黒人差別の理不尽さに気づきもしない現実。そして徐々にその現実に気づいていくが、それでもなお自分たちは差別者ではないと思い込む傲慢。こういったことはいつでもあることだし、今でもあるし、私自身にもあると思う。内なる差別を解体するのは相当な努力が必要だ。それには外在的な助力も必要だろう。アル・ハリソンがそのことに気づき自らを変えていき、やがては胸のすくある行為をするまでに至るのには、目の前にいる黒人女性の類まれな才能という現実があったればこそだ。そして、彼自身がたいそう優秀な科学者であったと言えるのではないだろうか。だからこそ優秀な才能を見つけるとそれを伸ばしたいし、活用したいと思う。上司としてはある意味当然だ。 
 このように才能ある人々は自力と他力によって差別の壁を打ち破ることができる。しかし凡人はどうなる? 多くの凡人は伸ばせる才能もなく社会の底辺で腐っていく。差別と貧困から抜け出ることもその壁を自ら打ち破ることもできない。ほんとうの差別解体はそこを打破することができなければ難しい。社会の矛盾は志ある人々がまずは突破口を開くことによって克服されていくものなのだろう。歴史がその事実を物語っている。だからこそ前衛論は消えることがない。 
 わたしのケビン・コスナーがとてもいい役をもらっているので、個人的にも高評価。そして本作は労働映画の一つと言えるだろう。今は存在しない「計算室」での計算係という仕事がかつてはあった、ということがよくわかる。(レンタルBlu-ray

HIDDEN FIGURES
127分、アメリカ、2016
監督:セオドア・メルフィ、製作:ドナ・ジグリオッティほか、原作:マーゴット・リー・シェッタリー、脚本:アリソン・シュローダー、セオドア・メルフィ、音楽:ハンス・ジマーファレル・ウィリアムスベンジャミン・ウォルフィッシュ
出演:タラジ・P・ヘンソン、オクタヴィア・スペンサージャネール・モネイケヴィン・コスナーキルステン・ダンスト