吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

BPM ビート・パー・ミニット

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  長男Y太郎に薦められて、4月に見た映画。しかしこれは日本ではヒットしないし評価もされないだろうと思った作品。カンヌ映画祭グランプリ受賞作だけれど、万人が共感をもって受け止める感動作ではない。そもそも日本では、活動家を「プロ市民」と呼ぶネトウヨが跋扈しているのだから、この映画に登場するようなアンチエイズ運動に熱心な同性愛者という立ち位置そのものが受け入れられにくいだろう。
 物語の舞台は1990年代初めのフランス。エイズ患者への差別や偏見と闘う“ACT UP - Paris”という市民団体に集う人々(多くが同性愛者の若者)の活動をドキュメンタリータッチで描いた。監督と脚本を担当している二人がこの団体の活動家でもあったので、描写が実にリアルで、Act UPの例会(集会、ミーティング)の場面は実際の記録映像かと見間違えたほどだ。彼らは定期的に夜に集まり、どうやって啓蒙活動や集会・デモを組織実行するのかを話し合い、製薬会社糾弾闘争や裁判についても話し合う。そのルールは「拍手はしない、賛意を表明するには指を鳴らす」といった独特のもので、いろいろと興味深い。 
 だが、製薬会社への抗議行動は過激であり、製薬会社の社員を呼びつけて糾弾(吊し上げ)する様子は眉を顰めるような事態だ。かつて日本では1970年前後に学生たちが火炎瓶を投げ、街頭闘争を敢行していたのだ。あれに比べればずいぶんおとなしいものなのに、それでも今の日本の状況からみたら直接行動主義が「過激」に見えてしまう。なんだかとても不思議な気分に陥った。なんでこの程度の行動が「過激」に見えてしまうのだろう。彼らが投獄をものともせず直接行動に決起すること自体は理解できる。エイズに罹患している本人にしたら、日々命を削って社会運動を行っているわけだし、焦る気持ちはとてもよくわかる。彼らのやり方は、「多くの人の共感を得る」ための行動ではなく、「少しでも目立ってマスコミに取り上げられる」ことが大事だということなのだろう。文字通りデモンストレーションなのだ。 
 主人公のショーンは二十代の若者だがHIV陽性であり、いつ発症するかわからないという恐怖と闘う日々でもある。そんな彼がこの運動を通じて新しい恋人(もちろん男)を得た。そのベッドシーンがなかなか強烈なので、わたしはどぎまぎしてしまった。やがて彼はエイズが進行して余命いくばくもない状態となる。徐々に弱っていくショーンの姿を見ているのは観客にとってもつらい。これは「闘う難病物」と言えるジャンルの映画だ。患者やその家族、患者になるかもしれない当事者たちが、自分のために闘う。その姿は尊いと同時に、当事者同士の利害が一致せずに対立に発展する場面もあり、この運動が一筋縄でいかないこともリアルに描写されていた。
 いま、日本の若者は自分のために闘っているだろうか。非正規雇用、貧困、病気、さまざまな困難に直面している人々は自分のために闘っているだろうか。もちろん闘っている人々がいないわけではない。でも多くの若者が、誰かが助けてくれるのを待っているだけだったり、愚痴を言い合うだけだったり、果ては中国人や韓国人のせいにしたりしていないだろうか。ほんの二十年ほど前のフランスの闘いを見て、学ぶことは多くあるはず。

 と同時に、悲しく切ない別れもまたそれすらが「政治的死」でありたいと主張する「活動家魂」そのもののようなショーンには、戸惑いも感じる。わたしはこの映画に百パーセントの共感を持つことはできなかったし、どこか冷めた目で見ている自分を見つけてそのことにも少しの驚きを感じた。居心地の悪さと違和感が後に残る、しかし画面から目を離すことができない、そのような、観客に問いを突き付ける大きな力のある作品だ。

BPM (BEATS PER MINUTE)
143分、フランス、2017
監督・脚本:ロバン・カンピヨ、共同脚本:フィリップ・マンジョ、撮影:ジャンヌ・ラポワリー、音楽:アルノー・ルボチーニ
出演:ナウエル・ペレス・ビスカヤール、アルノー・ヴァロワ、アデル・エネル、アントワーヌ・レナルツ、フェリックス・マリトー