吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

菊とギロチン

f:id:ginyu:20180718221619p:plain

 大正デカダンの時代、関東大震災直後の混乱した関東地方に女相撲の一座がやってきた。それを見た若きアナキストたちのグループ「ギロチン社」の一行は女相撲の虜になり、彼女たちと行動を共にしようとする。大正時代末期の猥雑でエネルギーにあふれた人々の狂宴を、「今作らなければ」という瀬々敬久監督が史実と虚構を交えて描いた大作だ。3時間を超える上映時間が短く思えるほど、波乱万丈の彼らの動向に目が釘付けになる。
 ギロチン社、古田大次郎、中浜鉄(哲)、黒パン、小作人社、、、といった大正アナキズムの文献は当エル・ライブラリーが所蔵している資料であり、なじみがあるが、わたしはそれらを執筆した人物については生身の人間としての感触をもてなかった。彼らに血と肉が付き、生き生きと動き出して笑ったり怒ったりわめいたりする様子を画面から受け取ることのなんという快感! これが映像の力なのだ。
 女相撲という興行と、実在したアナキストたちを組み合わせるという驚くべき発想で練られた本作は、瀬々監督が二十代のころから温めていた題材なのだという。革命だ、世界を変えるんだ、自由平等な社会を築くんだ、と理想だけは高いが、その実彼らのしていることは「リャク」(掠奪)と称する、企業への強請りタカリであり、強奪した金を酒と女郎屋につぎ込む自堕落な生活。詩人の中浜は文才だけはあるが、アジビラを書き散らしては銀行強盗だの恐喝だのを繰り返し、挙句に梅毒に感染する。この中浜を演じた東出昌大が一皮むけた演技を見せてくれて、ほんとにどんどんうまくなるよ、素晴らしい。古田大次郎を演じたのは寛一郎という新人俳優。誰かと思えば佐藤浩市の息子だそうな。非常に繊細な役をイメージそのままに演じていて、これは監督の指導がよかったんだろうと思わせるものがある。

 映画は巻頭からしばらくはギロチン社の若者たちのパワーが強すぎてセリフが聞き取りにくい部分があり、さらにカメラが微妙に動いて見づらい。しかしこの若干の苦痛を乗り越えると、もう後は目くるめく映像世界へと引き込まれていく。要するにギロチン社のアホみたいな革命ごっこへの違和感が消えていくのだ。あほみたいだけれど命懸けで革命を夢見ていた大正期のアナキストに、出来の悪い息子を愛するように監督が愛情を注いでることが見て取れる。そして、ギロチン社はおれだ!と世界の中心で叫んでいるこの映画についていけるかどうかの分かれ目が到来する。

 やがて主演はギロチン社じゃなく女相撲の新人花菊であることが判明する。彼女は夫の暴力に耐えかねて家出し、女相撲の一座に入門した。「強くなりたい」というその強烈な願望は、この時代の女たちの腹の底から出た思いだろう。

 女相撲一座の巡業についていくギロチン社の中濱鐵と古田大次郎は、それぞれが力士に惹かれていく。中濱が惚れた相手は朝鮮からやってきた元遊女の十勝川。純情な古田はあどけなさの残る花菊に惹かれるが、遊び慣れている中濱と違って花菊に近づくことができない。後半、この二組のカップルの行方がどうなるのかと固唾を飲んで見入ってしまう。
 3時間の映画にはいろいろ見どころがあって、言わずもがな、相撲興行は大変興味深い。一座は町や村を巡り、宣伝のために鳴り物入りで練り歩いていく。その様子や、土俵入り、歌(甚句)、といったフォークロアの部分が映画で初めて見るものばかりで、よくぞ時代考証ができたものだと感心する。女相撲はまた「エロ」と眉を顰めて語られ、風紀紊乱の咎によって常に警察の臨検・上演中止にあっていた。そのような時代の匂い、また大正から昭和へと向かい、社会運動が大弾圧を受けて軍部が暴走する時代へと移り変わる様相がこの映画の中でもしっかりと描かれている。「天皇陛下万歳」の連呼はやや過剰演出に見えるが、映画は後半になるにつれ暴力が横溢し、血濡れたものとなり、不気味な「天皇陛下万歳」がこだまする。中濱鐵が「満州に差別のない平等な社会を作る」と目を輝かせて語るとき、その後の歴史を知っているわたしたちは、満州国建設が五族協和の名のもとに押し進められたことを想起する。アナキストの夢はかくして大日本帝国にからめとられていく。。。。
 アナキストを描いた本作こそがまさにアナーキーな力に満ち、コメディタッチからアクションやスリラーまで縦横な作風で観客を魅了する。音楽も印象深く、朝鮮の伝統芸能である農楽も取り入れられて、画面に力強さとリズムを付加している。浜辺で女相撲の一行が踊りに興じるシーンは名場面の一つと言えるだろう。
 わたしの友人がエキストラで農婦役で登場するというので、どの場面なのかと一生懸命目を凝らしていてとうとう分からなかった。肝心の主人公たちそっちのけで画面の背後のほうばかり見ていたから、疲れてしまった(苦笑)。彼女の顔は識別できなかったが、最後にクレジットされていた出資者一覧のなかにその名があったのが嬉しかった。そう、この作品は製作会社が資金を提供しなかったため、カンパを集めて作られた自主製作映画なのだ。こういう破天荒な映画がなかなか作られない日本映画界に寂しさを感じるが、ともあれ完成したことは慶賀かな。あとは一人でも多くの人に見てほしい。

189分、日本、2018

監督:瀬々敬久、脚本:相澤虎之助、瀬々敬久、撮影:鍋島淳裕、音楽:安川午朗
ナレーション:永瀬正敏
出演:木竜麻生、東出昌大寛一郎韓英恵、渋川清彦、山中崇井浦新大西信満嶋田久作菅田俊