吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

光の旅人 K-PAX

 長さをまったく感じさせない、隙のない演出。ストーリーでぐいぐい押していく異色のSFだ。CGなんて一切必要ない。
 ある日突然ニューヨークの駅頭に現れた男は自分のことをK-PAX星人だと名乗る。精神病院に収容されて治療の対象となるが、その言動が常識を超えて、本当に宇宙人かもしれないという疑惑が周囲の人々を興奮させたり困惑させる。その宇宙人プロートの主治医であるマイケルは、不思議に思いながらも、理知的で穏やかなプロートに魅かれていく。ついにある日、催眠療法でプロートの過去を探っていくことになった。そして判明する、プロートの本名とその悲しい過去が。
 病院の患者たちはみな素直にプロート宇宙人説を完全に納得し、プロートが星に戻るときに一緒に連れて行ってもらおうと必死にアピールするところがとてもかわいい。プロートの数々の不思議な言動や理屈で説明できないところから見ると、宇宙人に違いないという疑惑が大きく募る。物語は、彼が本当に宇宙人なのかどうなのかという興味と謎で観客を引き寄せる。プロート自身のキャラクターの良さもあって、もうこの人、宇宙人認定一号! と叫びたくなるよ。K-PAX語をしゃべり、バナナを皮ごと食べるケビン・スペイシーの熱演ぶりにも唖然。
 人と人のつながりや絆、そんなものがないK-PAXの平和な社会の様子を聞くだに、家族なんてあるから人は争ったり物を欲しがったりするんじゃないかと思えてくる。でも、自分がいなくなっても誰も寂しがってくれない、というのも超寂しい。結局のところこの映画は、家族を大事にしようねという説話だったようだが、そんなふうにきれいにまとめるのも面白くない。K-PAXには家族という概念がないのだから、そんな星に行ったところで、家庭を求める人間の癒しにはならないのだ。けれど、それが心地いい世界もあるよ、ということではないか。これは価値観の多様性を極端に提示してみせた寓話なのだ。
 ネット検索の場面でGoogleではなくYahooを使っているところが2001年という時代を感じさせる。もっとも、YahooのサーチエンジンGoogleを使っていたから同じことなんだけどね。
 さて、彼は本当に宇宙人だったのかって? 決まってるやんか、彼はK-PAXに帰ったんです。借り住まいしていた人間の肉体を残していったけどね。エンドクレジットの後にワンカットあったなんて知らなかった。ネットで読んで慌てて見直したよ。ほらね、やっぱり、マークだって待ってるんだよ、再会を(笑)。(レンタルDVD)

K-PAX
121分、アメリカ、2001
監督:イアン・ソフトリー、原作:ジーン・ブリュワー、脚本:チャールズ・リーヴィット、音楽:エド・シェアマー、歌:シェリル・クロウエルトン・ジョン
出演:ケヴィン・スペイシージェフ・ブリッジス、メアリー・マコーマック