吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

15時17分、パリ行き

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 これは事件が起きてからさほど時間がたっていないため、ほとんど何の説明もなくても観客がすぐに「ああ、あれね」とわかるというところが得している作品だ。

 2015年にヨーロッパで起きた実際のテロ事件をそのまま再現する映画であり、ほんとうに「そのまま」再現してしまったところが仰天もの。なぜなら、そのテロ事件が大虐殺になるのを未然に防いだアメリカ人の若者3人は本人が演じ、ほかにも身を挺してテロ犯人と格闘した乗客も本人が演じているからだ。登場人物を本人が演じるという作品は決して本作が初めてではない。タノヴィッチ監督の「鉄くず拾いの物語」も本人に演じさせた再現ものだが、「鉄くず」の本人演技が見ていられないほど下手だったのに比べて、こちらの「15時17分」はみな演技が上手いのに感心した。よく素人にこれだけ演技をつけたものだ、さすがはイーストウッド監督。
 ところが、映画のことをテロ事件を再現するサスペンスだと思い込んで見始めたわたしは、全然そうではないことに気づいて落ち着かなくなる。物語はテロを未然に防いだ三人の小学生時代にまでさかのぼり、彼らが知り合うようになったきっかけや、ヨーロッパ旅行に出かける過程を描いていく。ついには途中からローマ観光映画に変わってしまったので、「おやおや、どうなってんのこれ」と心配になるやら脱力するやら。観光客が鈴なりになっているトレヴィの泉で後ろ向きにコインを投げ入れるという定番のパフォーマンスを演じる若者たちに失笑を禁じ得ない。
 学校では問題児扱いされ、落ちこぼれと教師に言われ、シングルマザーだった母親によって転校させられた先の学校でもやっぱり校長室に呼び出される毎日。という三人の少年たちが大好きだった遊びは戦争ごっこ。そうよね、男の子は戦争ごっこが大好き。サバイバルゲームに精出す3人はいつしか離れ離れに進学・引っ越ししていく。そして7年ぶりの再会がヨーロッパ旅行だったのだ。
 テロ事件が起きたその時、テロリストの銃口がまっすぐ自分に向かっているのもものともせず突進していったスペンサー青年は、人を助けたい、人の役に立ちたいと思い続けて落ちこぼれていた空軍の救急救命士。彼がそんな思いに突き動かされた理由をイーストウッドはじっくりと描いたのだ。そして、ヨーロッパ旅行で遊び惚ける若者三人の姿を退屈ともいえるほどゆるゆると映し続けた。この演出には賛否両論が出そうだが、まったく緊張感のないだらけたシーンが続くため、このあたりで爆睡する観客も続出しそうだ。わたしは珍しくまったく眠らなかったのだがね。
 この映画を見れば、偶然が英雄を生むことがよくわかる。もしも彼らがあの時、三人そろってヨーロッパ旅行に出かけなかったら? 15:17発の列車に乗らなかったら? あの車両じゃなかったら? すべてが驚くべき偶然の積み重ねなのだ。しかし、それが偶然ではなく必然であったことをイーストウッドは描きたかったのだろう。だからこそ、延々と彼ら三人の生い立ちを追ったのだ。
 しかし、ものの見事に犯人の描写は割愛されている。そもそもISの戦士なのかどうかさえわからない。犯人側の生い立ちは何も語られないために、一方的な英雄譚となっている危惧がある。劇場パンフレットではそのあたりが詳しく解説されていて、理解が進んだ。
 ラストは実写記録映像が使われている。もちろん当事者本人が出ているわけで、本人が演じている意味がここにあるのか、と膝を打った。オランド大統領との記念撮影とか、実に自然に観ることができて、感動的だった。それにしても愛国的な映画ですな。

THE 15:17 TO PARIS
94分、アメリカ、2018
製作・監督:クリント・イーストウッド、原作:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン、ジェフリー・E・スターン、脚本:ドロシー・ブリスカル、音楽:クリスチャン・ジェイコブ
出演:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン、ジェナ・フィッシャー、ジュディ・グリア、レイ・コラサーニ