吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

幼な子われらに生まれ

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ステップファミリーを題材にした20年前の原作小説を荒井晴彦脚本で脚色したもの。なんといっても主役の浅野忠信が出色のすばらしさだ。この人がうまい役者であることは今更言を俟たないが、この映画ではさらに美しさが際立っている。巻頭の遊園地のシーンで、久しぶりに会う娘と手をつないで走る姿は、ピンクのシャツに白いズボンという若々しさがみなぎるもの。笑顔もはじけて、浅野忠信の青春物語か、と思わせる。
 浅野忠信田中麗奈の再婚同士の夫婦には妻の連れ子である二人の娘がいて、そこに新たに夫婦の実子が生まれる、ということになり、それでなくても難しい年ごろの長女が継父への嫌悪感を露わにして家族解散の危機が訪れる。一方、浅野忠信にも離婚した妻との間に娘がいて、年に数回の面会が許されているのだが、その娘の新しい父親が重病で余命いくばくもない、という状態に。二つの家族の複雑な事情が描かれ、傷つく少女たちと戸惑う父の姿がリアルに迫る。
 とりわけ子役の演技がすさまじくうまくて自然に流れるのは、演出の冴えのおかげだ。これはエチュード手法という即興劇の要素を取り入れたことによる。なかでも、長女のこじれ方は特筆に値する。その意地悪く憎悪に光る眼を継父にそそぐ表情がたまりません。次女は幼稚園児という設定なのだが、演技がうまいので驚いた。実は演じた新井美羽は2006年生まれだから、撮影時に10歳にはなっていたはずで、どうやって幼稚園児に見せたのか首をひねるぐらい役にはまっている。いっぽう、長女は小学6年生ということだが中学生ぐらいに見えてしまうのがつらい。浅野忠信の実子役の鎌田らい樹も熱演。宮藤官九郎の何歳になってもぐれている大人ぶりも笑える。即興を取り入れたために荒井の脚本通りではないということで、本人は怒っているのではないかと危惧するが、まあそんなことは観客にはどうでもいい。
 時に揺れ動く心を表すようにカメラが揺れるのが難点で、もっと落ち着いて固定で回せばいいのに、と思うが、ロケーションの位置にこだわった三島有紀子監督の狙いは明確で、斜行エレベーターで山肌を上がっていった先の巨大団地の中に彼らの住まいがある。毎日ここを上り下りする勤勉なサラリーマンである浅野はリストラの対象となり、倉庫作業場に出向させられた。心の重荷を背負って階段を昇る姿は罪人のようでもあり、彼の労働現場の単調さもまたうんざりするようなものだ。 

 通信販売の倉庫ピッキング現場がロケに使われていることからも、この映画は労働映画という側面も持っている。地に足がついているサラリーマンが、地に足のつかない状態となりつつ、この地上に場所を求めて悩み、時に感情を爆発させながらも幸せを願って前に進む姿はほっとさせられる。家族について考える映画であると同時に、嘘をつく家族、血縁でつながらない家族、家族から逃げたい男、仕事に生きたい女、男にすがる女、という様々な価値観を持つ人々を等価に描いていることにわたしは好感を持った。
 「本当の家族になる」とか「本当の父親になる」という思い込みを捨てて軽やかに生きられるようになれば、もっといいのにと思う。浅野忠信の笑顔を見ながらそう願ったラストシーンには未来への希望がほの見えた。

127分、日本、2017
監督:三島有紀子、製作:梅川治男ほか、原作:重松清、脚本:荒井晴彦、撮影:大塚亮、音楽:田中拓人
出演:浅野忠信田中麗奈、鎌田らい樹、新井美羽、南沙良宮藤官九郎寺島しのぶ