吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

光をくれた人

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 最後のほうはずっと泣きっぱなしで、劇場を出たときには目がはれ上がって恥ずかしかった。おまけに駅に向かう道々、映画を思い出しては涙があふれてくるので困った。今年一番泣いた映画。まあ、泣けるようにできているんですけどね。「パーソナル・ショッパー」に続いて観た映画で、「パーソナル」の後味の悪さを吹き消す、よい映画でありました。
 マイケル・ファスベンダー主演なので見に行った映画で、やっぱり彼の憂いを含みすぎて演技なのか素なのかわからない目に惹き込まれることを再発見してしまった。この人、演技がうまいのか下手なのかよくわかりません。もうほとんど同じ役しかできないんじゃない? コメディとか絶対に似合わないタイプだと思う。
 物語は1918年12月、オーストラリアに始まる。第一次世界大戦が終わって、復員してきた兵士がトム・シェアボーン。彼は絶海の孤島に建つ灯台守になるために町役場で面接を受けている。孤独で過酷な仕事に違いないのに、あえてその仕事を選んだトムには戦場での傷ついた記憶があったのだろう。そして出会った地元の名士の娘イザベルと恋に落ち、手紙をやりとりしながら二人はやがて結婚する。孤独な灯台守のもとにイザベルは嫁いできた。二人きりの無人島の生活はすさまじい風と波の音にかき消されそうになりながらも、微笑みと明るさに満ちたものであった。特に、トムの髭をイザベルがそり落とすシーンがとても印象深く、二人の仲睦まじい様子がほほえましい。
 しかし、二人に悲劇が襲う。イザベルが二度も流産してしまったのだ。二度目の流産(早産)で激しく落ち込むイザベルだったが、なんという偶然か、そこに赤ん坊とその父とみられる男性が小さなボートで流れ着くのだ。父親は既に亡くなっていた。業務日誌に記録して町に報告せねばならないというトムを押しとどめてイザベルは必死に訴える。「この子が来たのは偶然じゃない。どうせ養護施設にやられてしまう子だ。わたしたちの子として育てよう」
 こうして、二人のもとにやってきた可愛らしい女の子はルーシーと名付けられ、深い愛情を注がれて大切に育てられることになったのだが。。。。。
 育ての親と生みの親。どちらの愛情が深いのか、どちらのもとに居るのが子どもの幸せなのか。そして、拾った子どもを自分たちの子どもとして育てることは大いなる罪ではないのか。倫理的な葛藤と夫婦の軋轢が交錯し、事態は深刻な局面を迎える。そこには、第1次世界大戦が残した憎悪と心の傷も絡んでいた。 
 おそらく原作には、大戦で傷ついたトムの過去もきっちり描かれているのだろうが、映画ではそのあたりはほとんど言及されない。ルーシーの実父がドイツ人だったというのもこの物語のキモの部分で、戦争の敵国人であったドイツ人を愛したルーシーの実母の想いもまた深いものがあるのだ。
 この映画が観客を泣かせるべく作られていることは否定しない。子どもを登場させれば感動物語になることは間違いないのだから。しかし、ズブズブのお涙頂戴ものにならなかったのは、アリシア・ヴィカンダーの見事な演技と、レイチェル・ワイズの抑えた演技の素晴らしさによる。
 許すことが人を癒すことをこの作品はまた教えている。「人を憎むことはずっと続くつらいことだ。赦すのはたった一回でいい」


 灯台が立つ島は「ヤヌス島」という。二つの大洋がぶつかる荒波にさらされるこの島は、二つの顔を持ち、引き裂かれるヤヌス神にその名が由来する。

THE LIGHT BETWEEN OCEANS
133分、アメリカ/オーストラリア/ニュージーランド、2016
監督:デレク・シアンフランス、原作:M・L・ステッドマン『海を照らす光』、脚本:デレク・シアンフランス、撮影:アダム・アーカポー、音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:マイケル・ファスベンダーアリシア・ヴィカンダー、レイチェル・ワイズ