吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

カフェ・ソサエティ

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オープニングからレトロな雰囲気のタイトルバックとジャズ音楽で始まった本作の舞台は1930年代後半のハリウッド。いかにもいかにも、というハリウッド全盛時代の狂乱のようなゴージャスな世界が繰り広げられる。
 カフェ・ソサイエティというのは都会の高級クラブに出入りするセレブの社交界を指す。1930年代のハリウッドやNYのセレブたちの贅沢な暮らし、噂話とスキャンダルばかりを垂れ流す浮ついた社交ぶりをこれでもかとばかりに映し出したのが本作だ。
 主人公のユダヤ青年ボビーはもちろんウディ・アレンその人の分身なのだろう。考えてみれば、アレンはよくぞこれだけ長きにわたってユダヤジョークの物語を描き続けてきたものだ。繰り返し繰り返し彼の作品にはユダヤ人が登場し、自虐ネタが散りばめられたギャグが観客を楽しませてきた。ユダヤ人であることを呪いつつ自慢するという離れ業をやってのける天才がこの人、ウディ・アレンなんだろう。

 この作品を堪能するためには、ニューヨークのグリニッジ(グリニッチ)・ヴィレッジが象徴する「ニューヨーク・インテレクチャルズ」、すなわちジョン・リードたちのような左翼の文化を知っていなければならないし、NYのユダヤギャングのことや、この時代のハリウッドにはナチスの迫害を逃れた人々が大量に亡命してきていたことも知っていなければならない。映画の中ではそんな説明は一切ないから、なかなかにやっかいなことではある。
 物語は、NYに住む青年ボビーが、映画界で成功したプロデューサーである叔父を頼ってハリウッドにやって来るところから始まる。ここで彼は美しいヴォニーという女性と知り合い、たちまち恋に落ちる。しかし彼女には恋人がいたのだった。。。。。という恋愛物語であるが、ボビーの恋はなかなかうまくいかない。結局のところ恋に破れたボビーはNYに戻ってくるわけで、そのNYで彼は商売で成功し、新たな美女と恋に落ちてめでたく結婚する。しかししかし、、、、
「ひとりの男と二人のヴェロニカ」という宣伝惹句に思い出すのはキエシロフスキー監督の「ふたりのベロニカ」なのだが、あの映画とはなんの関係もないストーリーながら、美しい二人のヴェロニカが登場するという点がまったく同じなのはキエシロフスキー作品へのオマージュなのだろうか。
 本作のテーマは「人生の選択」である。人はさまざまな岐路に立つ。そのときに選んだ道が正しかったのか、選んだ人が間違いではなかったのか、を常に問い続けるものかもしれないし、後悔し続けるのかもしれない。しかし、いずれにしても自分で選んだ道/人なのだから、それはもう甘受するしかない、諦念とともに。ということをああでもないこうでもないと描いた本作は、実は見ていてイライラさせられた。そんなに後悔するなら、やり直せばええやんか、まだ若いねんから!とおばさんはついつい叫びそうになってしまいましたよ。人はいつでも後悔し続けるものかもしれない。「愛とは決して後悔しないこと」(Love means never having to say you're sorry)という名言があったが、この映画では主人公たちが後悔し続けながらも愛を全うしようとする姿勢が危うくもほろ苦い。
 美男子でもなくどこに魅力があるのかよくわからない青年がやらた美女にもてるという映画になんの違和感もない人にはお薦めの作品(かもしれない)。まあ、ウディ・アレンの願望というか自己規定というか、そういうもんでしょうね。

CAFE SOCIETY
96分、アメリカ、2016
監督・脚本:ウディ・アレン
製作:レッティ・アロンソンほか
製作総指揮:ロナルド・L・チェズ、アダム・B・スターン、マーク・I・スターン
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
ナレーター:ウディ・アレン
出演:ジーニー・バーリンスティーヴ・カレルジェシー・アイゼンバーグブレイク・ライヴリー、パーカー・ポージー、クリステン・スチュワート