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吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

この世界の片隅に

映画

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 「君の名は。」よりもいい、という大人が大勢いる作品なので遅ればせながら見に行ったところ、やはり劇場は混んでいた。

 戦時下の広島と呉の日常生活を、19歳のすずという女性(というより少女)を通して描いた作品。現在の呉市には大和ミュージアムがあり、軍艦大和の模型が展示されている。このアニメの中ではその大和が軍港呉に係留されている様子が描かれている。軍港であるがゆえに何度も空襲を受ける呉の町。郊外に住むすずの嫁ぎ先にも焼夷弾が落ちてくる。

 こうの史代の素朴な線画を生かしたアニメは原作にはない緻密な背景の描き込みが特徴で、戦争によって破壊される前の広島の町や呉の町を哀切とともに浮かび上がらせる。観客はその街並みがすべて失われることを知っているから、かすかに心をかき乱されながらその風景を見ることになる。

 大人しくて内気なすずがただ一つ得意なことは絵を描くこと。彼女は時間があれば街並みを写し取り、生活を描き、スケッチブックに綴っていく。それは言葉少ないすずにとって、言葉よりも饒舌に彼女の心を語るものなのだろう。

 「すずさんは普通じゃのう」と言われる、そんな、ほんとうに「ふつう」に生きるすずだから、戦争が起きてもそれが誰のせいなのかと考えもしないし、配給の食べ物がどんどん減っていっても文句を言うこともない。まるで「仕方がない」と思っているかのようだ。いや、実際「仕方がない」と思っていたのだろう。あの当時の多くの日本人と同じく、彼女も仕方がないと思って救貧生活に耐え、戦争だからと耐え、兄が戦死しても「これが戦争だから」と耐えたのだろう。

 しかし、そんな彼女にも耐えがたいことが起きる。空襲により彼女自身が大きく傷つき、大切な命が失われる。なぜなんだ? 失われていくもの、喪われた命、二度と戻らない日々がすずを打ちのめす。やがて広島に原爆が落とされる、そのキノコ雲を見上げる呉の人々の驚きや、広島から爆風で飛ばされてきた戸やビラやさまざまな品々が、破壊力のすさまじさを物語る。

 驚くべき精密さで再現された昭和初期の町や日常生活が心にしみわたる。黒木和雄監督の「TOMORROW 明日」を想起させるような、「淡々とした日常生活が破壊される戦時下の暮らし」がここでも描かれているのだ。海の向こうの日本軍の残虐も差別もこの映画には描かれない。誰が被害者で誰が加害者なのかも問われない。けれど、戦争が奪っていくものの尊さをじっくり描いた本作は、静かな感動に満ちている。原爆が広島の町を焼き払っても、大切な命が奪われても、生き残った者はそれでも生きていかねばならない。戦争が続いていようが終わろうが、飯を炊かねばならない。その日常のよすがとなる記憶を留める、すずの描いた絵は、彼女と家族にとっての宝物になるだろう。

 エンドクレジットが画面に現れたとき、もっと見ていたいと思った。この後、この人たちはどうなるのだろう、どうするのだろう、と気になって仕方がなかったのだ。もうすずさんは他人じゃない、わたしの妹のようにも、娘のようにも思えたから。

126分、日本、2016
監督:片渕須直、原作:こうの史代、脚本:片渕須直、音楽:コトリンゴ
声の出演:のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、澁谷天外