吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

でんげい

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 「でんげい」とは、伝統芸術部の略称。大阪にある在日コリアンのための民族学校「建国学校」に作られた、文化クラブの一つだ。学校法人白頭学院建国幼・小・中・高等学校は、1946年創立の民族学校で2016年には創立70周年を迎える。在日韓国・朝鮮人の子弟に言葉と文化と歴史を学ばせたいとして作られた学校である。建国学園は幼稚園から高校までの児童・生徒が同じ敷地に学ぶ学園なので、伝統芸術部にも中学生と高校生が所属する。本作は、2014年にその「でんげい」の高校生たちが全国高校総合文化祭に出場し、見事入賞した過程を追ったドキュメンタリー。

 そもそも全国高校文化祭て何? 建国学園て何? なんで日本の「文化部のインターハイ」と呼ばれる競技会の「伝統芸能」部門に韓国の民族芸能を演じる高校生たちが参加しているのか? 謎は謎を呼ぶ。

 この映画のもとになったのは韓国のテレビ局が作った番組だ。若き在日同胞の姿を本国の人々に伝えるために制作された。だから日本語のセリフにはハングルの字幕が付く。そのドキュメンタリーを映画用に再編集し、日本では「いばらきの夏」と題して今年3月の大阪アジアン映画祭で好評上映された。

 でんげいの生徒たちが取り組む演技は、朝鮮半島に伝わる民衆舞踊「農楽」である。打楽器による音楽に合わせて踊り手がリズミカルに体を動かし、アクロバティックな動きで頭を振りながら帽子の頭頂部についたテープを自在に動かす。彼らは学校の体育館で毎日遅くまで練習に精を出す。

「子どもをでんげいに入れたら、嫁にやったと思え」と言われるほど夜遅くまで学校にいるため、家族が顔を合わせることも少なく、一家団欒も望めない。その練習はまことに過酷で、高校生たちは文字通り汗と涙にまみれている。

 彼らを指導する在日韓国人のチャ・チョンデミ(車 千代美)先生は藤山直美に顔も体型も声も似ていて、映画の観客も震えあがるほどに厳しい叱咤の声を飛ばす。徹底的に叱られたある女子高生は泣いて泣いて泣いて、しまいにはトイレに籠ってしゃくり上げている声が廊下にまで漏れ、わたしなどは思わずもらい泣きしそうになった。

 韓国から招聘した大学教員も彼らの指導に当たり、韓国の学生たちよりも建国高校の生徒の方が熱心なので教えがいがある、と穏やかに笑う。

 映画全体の雰囲気はド根性のスパルタ練習風景が続く厳しいもので、彼らの奮闘努力には頭が下がるのだが、これが甲子園を目指す高校球児たちの激しい練習とどこが違うのかと聞かれると、何も変わるところはないと答えるしかない。一つのことに打ち込む若者の姿には国境も民族の違いもない。

 本作は韓国人に在日の高校生の様子を伝えるために作られた、という目的に合致する作品なのだろうか。建国高校の生徒達が韓国語を自由に使うことができるのは、在日全体の状況から言えばきわめて珍しいことだという断りがなければ、韓国人たちは誤解するのではないか。この映画には在日への民族差別の実態などまったく描かれていないし、日本の高校総合文化祭にでんげいが12年連続出場することになったきっかけも語られず、都道府県の代表はどうやって選出しているのかもわからない。描かれていないことが多すぎて、かえって好奇心が刺激される。思わず建国学校や全国高等学校文化連盟のWEBサイトを読みふけってしまった。

 この映画は見る人によってかなり異なって映るだろう。あえて日韓の政治的な軋轢や溝には触れず、ひたすら懸命に練習に励む生徒と、厳しくも熱い思いで彼らを鍛える教師との格闘の姿を描く、日本の高校生たちとなんら変わることのないその様子は、同化と異化、包摂と排除のパワーポリティクスを読み込みたい観客の期待を脱臼させる。一方で、「自分たちの文化を知って初めて朝鮮人であることに誇りが持てた」というチャ先生の言葉を挿入することも忘れない。マイノリティが持つ「アイデンティティへの渇望」がここには横たわっていることがわかる。

 日本の伝統芸能だけを競技の対象とするのではなく、在日マイノリティがその遠いルーツに持っている伝統文化をも日本社会の文化の一つとして認めた全国高等学校文化連盟の判断は、多様性への開かれとして大いに評価したい。できればその経過も映画の中で伝えてほしかったものだ。いずれは在日中国人の京劇や在日ブラジル人のサンバが高校総合文化祭で披露される日が来るかもしれない。その日が楽しみだ。