吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

あゝ野麦峠

 日本の労働映画百選に選ばれた。
 飛騨の農村から信州岡谷の製糸工場に出稼ぎに行く12、3歳の少女たち。酷寒の野麦峠を決死の覚悟で越えていくのだが、何もわざわざそんな厳しい季節に雪山を渡らなくてもよさそうなのに、と思ってしまうが、夏は農繁期だから出発できないのだろう。険しい山道を歩くうちに、足を滑らせて谷底に落ちていく何人もの少女たちがいた。その中の一人が主人公政井みねである。大竹しのぶが本当に愛らしくけなげなみねを熱演していて涙をそそる。みねは実在の人物で、飛騨市に墓があり献花が絶えないという。
 みねは谷底に落ちたのだが、ロープでつながれていたため、引っ張り上げてもらえた。野麦峠から引き上げられて命拾いをした者は長生きするという言い伝えがあったという。

 佐藤忠男が『映画が語る働くということ』凱風社、2006.2 の中でこの作品を取り上げている。原作のルポルタージュとの違いを指摘しており、山本茂美の原作は、かつての女工たちが自分の労働に誇りを持っていたことや、経営者の中に立派な人物が少なからずいたことが書かれているという。おばあさんになった女工たちが昔の自分たちの生活を振り返って語ったその内容は、決してみじめなものではなかったという。製糸工場の長時間労働でも貧しい暮らしでも、郷里の農村暮らしのほうがさらに厳しかったのだ。
 「映画はその点、経営者の一家とその手先の検番をみんなロクでもない人格低劣な人間として描いている。資本主義の悪とはそんな中小企業経営者個々の人格的な悪ではないので、経営者と男はたいてい悪玉というこの描き方は作品としての奥行きを浅くしている」(p.33-34)と佐藤は述べている。 
 まさにその通りで、経営者一家は残虐無比な悪人で、女工たちは搾取される悲惨な存在というあまりにもわかりやすい描き方は退屈である。もっとも、女工の中にもしたたかなエゴイストがいて、経営者の息子とできて玉の輿に乗ろうという者もいるのだが。
 この映画では蚕のさなぎから繭を取り出し絹糸を引っ張り出すその工程が描かれていて、興味深い。お湯につけて蚕を殺し、糸を取るのはすべて手作業である。その工程が大変な悪臭を持つため、女工たちは汗と湿気と悪臭に苦しめられることになる。1日15時間労働はザラだし、宿舎には閂がかけられていて、まるで牢獄である。それでもお腹いっぱいに白米が食べられるので、彼女たちはたいそううれしそうだ。手先が不器用な者は製造数が少ないため、罰金を取られたり、飯抜きの罰を与えられる。みねは、不器用な同僚がお腹を空かせていることに抗議して、「飯抜き工女反対」と訴える。みね自身は腕がいいため「百円工女様」と呼ばれて故郷の父たちに尊重されるのだが、みねが懸命に稼いできた金を父は酒につぎ込み、仕事もしない。心優しいみねは、仲間たちを気遣い、励まし、懸命に支え合おうとする。

 この映画では、日露戦争時の好景気によって生糸相場があがり経営者たちが大儲けするさまが描かれてる。また、逆に相場の下落によって経営者が右往左往する場面もあり、糸相場の乱高下が印象付けられる。資本主義発展を最底辺で支えた紡績女工たちの姿を知ることは、今のわたしたちにも大事なことではなかろうか。多くの犠牲のもとに日本の経済発展は成し遂げられた。そのことを決して忘れてはならない。

 働き続けたみねが最後は結核を病んで死の床につき、打ち捨てられてく哀れさは涙をそそる。兄の背中に背負われて、野麦峠で「ああ、飛騨が見える」と嬉しそうにつぶやいてこと切れる姿に多くの観客が涙を流した。野麦峠から見える山々の美しさもこの映画の見所である。

 実話ではみねは結核ではなく腹膜炎で亡くなったという。齢わずか20歳であった。(レンタルDVD)

ああ野麦峠

154分、日本、1979
監督:山本薩夫、製作:持丸寛二ほか、原作:山本茂実、脚本:服部佳、音楽:佐藤勝
出演:大竹しのぶ原田美枝子、友里千賀子、古手川祐子三国連太郎西村晃地井武男、浅野亜子、森次晃嗣北林谷栄小松方正