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吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

消えた声が、その名を呼ぶ

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 当初の予想を超えた壮大な話だったのには驚いた。思わず2回観たが、2回目のほうが短く感じたのは不思議だ。
 第1次世界大戦時のオスマン・トルコによるアルメニア人虐殺は、当のトルコだけがその事実を認めず世界中から非難を浴びている事件だ。死者は100万人とも200万人ともいわれている。本作は、虐殺を奇跡的に生き延びた代わりに声を失った男が、家族を訪ねて地球を半周する物語。
 この壮大なロードムービーを35ミリフィルムで撮影したというからさらに驚く。もはや現像所を探すのも困難なフィルム撮影を敢行したファティ・アキン監督のこだわりを感じる映画だ。映像は雄大で美しく、トルコの砂漠からキューバ、北米へと続く旅を、絶望に乾いた風景とともに切り取り観る者の心をつかんでいく。

 娘たちを探し回る父の執念のすさまじさには胸を打たれるとともに、たとえ盗みや暴力を働いても娘たちに会いに行こうとするおぞましき態度すらも肯定したくなる。彼が受けた暴力と、彼が目撃した虐殺と、尊厳を失ってもはや人間であることを止めた干からびた死体と、それらの異様な光景が彼をして生き延びさせた宿命のようなものを観客に納得させるだけの力がある。

 繰り返し流れる哀愁の子守歌が耳に残る。その歌が家族のもとへと彼を導く大きな力となる。この寓話は何を示すのか。虐殺から100年が過ぎた今、トルコからドイツに渡った子孫であるファティ・アキンという在独トルコ人監督が、自らの祖国の加害を暴く映画を作る。このことの意味を問いたい。翻って日本政府はいまだに南京虐殺を認めない、そのことをやはり問いたい。
 戦争が終わってトルコが負け、敗残のトルコ人たちが町中を移動していく「行進」に向かってアルメニア人たちが石を投げつけ、悪罵の限りに怨嗟の声を上げる。その時、主人公ナザレットは掴んだ石を投げようとした腕を思わずひっこめる。彼の目の前で石を額に受けた少年が血を流して母親に抱きかかえられていたからだ。ナザレットが投げようとした石は誰に向かっているのか。その石はめぐりめぐって彼を打った石ではなかったか。過去から現在へと礫(つぶて)が憎しみを生み続ける限り、彼には未来がないのだ。この映画は、憎しみの連鎖を断ち切ることを静かに訴える。

 キリストが育った町の名をもらった主人公は、その過酷な運命の前に信仰を捨てた。しかし、神を信じないナザレットを何人ものアルメニアキリスト教徒が助けた。何があっても娘に会いたい、どうしても娘に再び会うまでは、と彼は何年もかけて放浪の旅を続けた。その都度、ナザレットはさまざまな労働に就いた。その様子がまた当時の時代状況を反映して実に興味深い。船員、皿洗い、鉄道労働者、と職を転々としてその日暮らしをするナザレットにとって、賃金労働者として生きていける時代にアメリカ大陸に渡ったことが僥倖でもあっただろう。声を失い家族を失い言葉の通じない外国で放浪してもなお当初の目的を忘れない、娘に会うというたった一つの目的のために生きる彼は、その目的があったがためだろう、弱い者を傷つけることを良しとしなかった。

 なぜトルコ帝国はアルメニア人を迫害するのか、なぜアルメニア人たちは殺されていったのか、本作はその政治経済的背景を説明せず、民族に起きた悲劇をナザレット一人に背負わせ続け、しまいにはトルコ人による迫害すらも遠い日の出来事のように観客に思わせる。もはや歴史も政治も一人の父親の前には意味をもたない。

 深く心に残る映画。(レンタルDVD)

 

9.24追記:以下のようなコメントをいただきました。

「英語字幕ですが、MOOCの講座で知り合ったアルメニア人の人に教えていただいた映画です。ぜひご覧になってください。 

588 Rue Paradis (English subtitles) Mayrig 

https://www.youtube.com/watch?v=5ZaJ5oHADIY」 

「地下室のメロディ」のアンリ・ヴェルヌイユ監督の遺作です。 

THE CUT
138分、ドイツ/フランス/イタリア/ロシア/ポーランド/トルコ、2014 
製作・監督・脚本: ファティ・アキン、共同脚本: マーディク・マーティン、撮影: ライナー・クラウスマン、音楽: アレキサンダー・ハッケ
出演: タハール・ラヒム、シモン・アブカリアン、マクラム・J・フーリ、モーリッツ・ブライブトロイ、トリーヌ・ディルホム、アルシネ・カンジアン