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吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

にあんちゃん

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 6月11日に東京で開催された「日本の労働映画百選」発表記念シンポジウムでの上映会で見た作品である。日本の労働映画百選はNPO法人働く文化ネットが開催しているイベントで、二年がかりで膨大な量の候補作が挙げられてきた。このたび100本に絞ってリストが公開され、そのリストが掲載されたパンフレットがまさに貴重な映画解説本となっている。

 詳細はこちら。

hatarakubunka.net

 

 さて、作品について。モノクロ映像の古めかしさはともかくとして、問題は音声。音声がかなり割れてしまっていて聞き取りにくい。ましてや佐賀弁でしゃべられると意味不明なところが多くてそれが残念だった。こういう古い映像には日本語字幕が必要だとつくづく感じた一作でもある。

 しかし、内容は極めて興味深かった。今まで見た今村昌平作品では一番面白かったかもしれない。今村監督作品はドロドロしたものが多くて、人間の欲望や弱い部分を描くものが多かっただけに、見ていてあまり楽しくないし、登場人物の誰にも敬意を持つことができなくて困ったものだ。映画というのは、今の自分よりも少しだけ上をいく人を描いてほしいもの。どこかにほっとさせるものや、「この人のようになりたい」と思わせるものがあれば嬉しい。
 その点、この映画は今村作品にしては実に淡々と描かれ、炭鉱に暮らす在日朝鮮人たちの貧しい暮らしは社会主義リアリズムぽいのだが、それでも常に明るさが見えているのが救いになる。原作が小学生の日記だからか、子どもの素直な視線や天真爛漫な明るさがこの作品の長所となっている。

 作品が終始子どもの視点で描かれているために、大人の世界についてはあまり説明がない。もちろんベッドシーンとかも出てこない。今村作品らしくない(笑)。ぼーっと見ていると、主人公末子の一家が在日であることにも気づかないかもしれない。

 両親を亡くした炭鉱一家の4人きょうだいは一家離散しつつ、親戚や知り合いの在日家庭に引き取られ、そこを逃げ出したり様々に放浪する。淡々とした描写と物語の展開を見ているうちに、炭鉱住宅の暮らしの中に彼ら朝鮮人のコミュニティが存在することに気づく。同胞から金を巻き上げる高利貸しみたいな在日の婆さんがいたり(北林谷栄、怪演)、長兄の就職先がパチンコ屋だったり、やはり在日社会の繋がりの中で彼らは生きているということがよくわかる。

 映画はほぼ同時代の炭鉱を描いているため、非常にリアリティがあり、細部にいたるまで「セットを作り込んだ」感がない。ロケそのままの映像で事足りているのではないか。この当時の炭鉱の様子がよくわかる貴重な記録映像ともいえるだろう。

 赤痢が発生したり、都会から来た看護婦が一人奮闘する啓蒙の姿があったり、貧困と階層格差が如実に描かれている点も興味深い。貧しくともきょうだいが助けあい、支えあっているところは素直に感動でき、炭鉱が閉山という悲観的な末路が待っているにもかかわらず、「まあなんとかなるさ」と感じさせるバイタリティにあふれている。若い人にぜひ見てほしい。(画像の出典URL:

にあんちゃん - 福岡市フィルムアーカイヴ - アーカイヴライブラリー - Fu:a 福岡でアジアを感じる

101分、日本、1959

監督: 今村昌平、企画: 坂上静翁、原作: 安本末子、脚本: 池田一朗、 
今村昌平、撮影: 姫田真佐久、音楽: 黛敏郎
出演: 長門裕之吉行和子二谷英明松尾嘉代、中村武、前田暁子、北林谷栄小沢昭一