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吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

わたしはロランス

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 心をかき乱されるラブ・ストーリー。愛し合う二人を隔てる壁は、彼が「女」であること。ラストシーンの切なさがいつまでも尾を引く。

 カナダ、モントリオールに暮らすロランスとフレッドのカップルは今日も楽しげにベッドで戯れる。小説を書いている教師のロランスは、30歳の誕生日にフレッドに思いのたけを叫ぶ。「わたしは女なんだ、女として生きたい」と。衝撃を受けるフレッドは、しかしロランスと共に生きることを選択し、彼の女装を手伝ったりする。だが、学校へも女装して出勤するロランスに周囲の視線が痛い。ある日とうとう解雇されてしまう。フレッドのストレスも極限に達してきた。ロランスが女であることを受け止めきれないフレッドはある日、パーティで出会った男とベッドインし、そのままロランスとは別れることに。
 こうして、出会っては別れ、また出会いを繰り返しながら、二人の10年に及ぶ関係が続いていく。

 二人の出会いは1987年。それから21世紀を迎える間近まで、二人は愛し合いながらも前に進むことができない。ロランスを受け止められないフレッドがカフェで感情を高ぶらせ、女主人に食って掛かるシーンは目を背けたくなるような激しい場面だ。フレッドはたびたび切れる。どんなに愛していても、ありのままのロランスを受け入れることが困難だからだ。愛は「不寛容と他者性」を乗り越えることができるのか? 愛する人が「自分の本当の姿でありたい」と願うとき、その願いが自分にとって受け止めがたいとき、愛は終わるのだろうか。

 奇異な視線を浴び続けて生きる人の困難をスタイリッシュな映像で描く。顔、顔、顔、目、目、目。視線を合わせる、合わせない。人々の視線を象徴的に繰り返し描くのは、まなざしの権力と圧迫を知っている監督の計算。

 画面の色彩計算は天性のものだろうか、24歳の若さでよくこれだけの作品が作れたものだ。時にスローモーションを多用し、リアリズムの極点を軽々と飛び越えて映画的な面白さを見せてくれる。

 メルヴィル・プポーがこれほど美しく撮られている映画は初めてかもしれない。女装しても美しいが、やっぱり男の姿のほうがいかしている。メルヴィルの魅力とラストシーンの余韻にノックアウトされた。2015年マイベスト10に入れた作品。(レンタルDVD)

LAURENCE ANYWAYS
168分、カナダ/フランス、2012 
監督・脚本: グザヴィエ・ドラン、製作: リズ・ラフォンティーヌ、撮影: イヴ・ベランジェ、音楽: ノイア
出演: メルヴィル・プポースザンヌ・クレマン、ナタリー・バイ