吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ルノワール 陽だまりの裸婦

機関紙編集者クラブ『編集サービス』紙に掲載した映画評のうち、自分のブログにアップしていなかった作品をさらえていくシリーズ」第7弾。

f:id:ginyu:20160302010311p:plain

 日本で展覧会が開かれれば来場者が殺到する画家の筆頭は、ルノワールゴッホ(たぶん)。ルノワール最晩年のミューズであったアンデレという若い女性をめぐる父子の葛藤をからめ、職人画家の傑作「水浴の女たち」誕生物語を描く。
 画家を主人公とする映画は、とかくその画風に合わせた映像を作ろうとする。「ゴヤ」(カルロス・サウラ監督)はビットリオ・ストラーロという名撮影監督を迎えてゴヤの作風そのものの暗くて陰鬱な、かつ美しい作品となり、「カラヴァッジョ」(A・ロンゴーニ監督)もまたカラヴァッジョの作風そのままの、光と影を強調したストラーロの見事な撮影を堪能できる。
 本作もまたその撮影に匹敵する美しい画を堪能できる。撮影監督は名手リー・ビンビン。映画そのものがルノワールの世界を再現するような、柔らかな光に満ちた幸福な作品だ。裸婦像を好んで描いたルノワールらしく、最晩年の巨匠が若い女性の裸体に執着した姿をくっきりと映し出す。ルノワールは20歳年下の妻を迎えていたが、その妻に先立たれるという覚悟のない出来事に直面して、ショックから立ち直れない。彼には3人の息子がおり、上二人は第一次世界大戦に出征してしまった。戦傷を負って帰還してきた次男が後にフランス映画界の巨匠となるジャン・ルノワールである。
 ルノワールは豊満な女性たちを描いて、見る者に幸せを与えた画家である。彼にとっては黒は禍々しい色。ルノワールの作品に黒は要らないと言い放つ。絵画は明るく美しく、それを見た人を勇気付けるものであるべきだ、というのが彼の持論だった。だから、本人はリューマチによって身体が不自由になりながら、いっそうくっきりと明るく美しい絵を描くようになった。彼の周りには戦争があり、老いがあり、妻との死別があり、さまざまな苦悩があったにもかかわらず、最後のミューズを得て旺盛な製作意欲が発露していたのであった。
 そのミューズを演じたのはクリスタ・テレ。画家のミューズであると同時に次男ジャンの想われ人であったアンドレが、父子の間にあって彼らを翻弄する自由奔放な小悪魔としての魅力をいかんなく発揮している。この映画は彼女の魅力で持っているといっても過言ではない。
 戦傷兵として戻ってきた息子ジャンが将来への希望を見つけられず、「僕って何」状態の焦燥感にかられるデカダンな様子はいかにも退廃的なフランス文化の香りがする。
 日本で異様な人気を誇り続けるルノワールが好色な爺であったと暴露される映画はある意味小気味よい。そして、ルノワールが単なるスケベではなく、死ぬまで努力を怠らなかった職人であったことも描かれている。彼の晩年の生活は、田舎の広大な敷地に建つ簡素な屋敷の中で大勢の女中たちにかしずかれるものであった。そのわがままぶり、その熱意、その失望が描かれているが、ひとつずつのエピソードが有機的につながらず、映画全体がやや散漫なのが残念。だがその欠点を補って余りある、クリスタ・テレの輝くばかりの美しさと、リー・ビンビンの柔らかな画面作りを堪能しよう。

RENOIR
111分、フランス、2012
監督: ジル・ブルドス、製作: オリヴィエ・デルボス、原作: ジャック・ルノワール、脚本: ジェローム・トネール、ジル・ブルドス、脚本協力: ミシェル・スピノザ、撮影: マーク・リー・ピンビン、音楽: アレクサンドル・デスプラ
出演: ミシェル・ブーケ、クリスタ・テレ、ヴァンサン・ロティエ、トマ・ドレ