吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

東京家族

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 「機関紙編集者クラブ『編集サービス』紙に掲載した映画評のうち、自分のブログにアップしていなかった作品をさらえていくシリーズ」第3弾。

 

 小津安二郎の「東京物語」へのオマージュをささげた山田洋次監督作。オマージュというよりはリメイクと言って差し支えない。ストーリーも人物設定もほぼ同じ。台詞回しまで同じものが登場する。しかし片や一九五三年の作品、片や二〇一二年、当然にも現代風のアレンジがそこここに見える。

 プロットは、田舎に住む老夫婦が息子や娘一家に会いに上京してくるという、「東京物語」と同じく老人のロードムービーである。長男は開業医、長女は美容院経営者として忙しく働き、せっかく上京してきた親の面倒を見る時間もないという設定もまったく同じ。違いは、次男が戦死しその「未亡人」が嫁として懸命に義父母に仕えるという前作の役割を、次男はフリーターでその恋人がかいがいしく務める、という点。

 「東京物語」が戦争の傷跡を色濃く残した作品であったのと対比するように、「東京家族」には震災の影響が及んでいる。クランクイン直前におきた東日本大震災により、急遽脚本を書き直して製作を一年遅らせてまで完成された「東京家族」は、しかし小津作品における戦後とは違って、どこかとってつけたような”3.11後”感が漂う。というのも、次男が恋人と出会ったきっかけが復興ボランティアであるという設定以外に震災の影響が登場人物たちの上に影を落としていないからだ。それはしょうがない、彼らは東京人であったり瀬戸内海の小島に暮らす老夫婦であったりするのだから。全国民の生活に甚大な影響を及ぼした十五年戦争とは違って、いかに3.11が大きな災害であったとしても、全国民の生活や人生観にまで影響を及ぼしたといえるのかどうかは不明だ。

 小津の作品が当時の日本の家族を活写したすぐれた時代性を内包していたのと比較して、果たして山田作品が現在とこれからの時代を見事に切り取ったものといえるかどうかは、あと三十年ほどしないと評価できないだろう。  小津作品では次男は戦死していたが、ここでは次男はフリーターであり、父親に何かと叱られている。父は次男をなかなか理解せず、認めようとしない。その確執が平成の時代性を表しているといえようか。

 「東京家族」では老夫婦が東京を追い出されるように横浜の高級ホテルに泊まらされるが、「東京物語」では熱海の温泉旅館である。やはり隔世の感がするのは当然か。このシーン、横浜グランドインターコンチネンタルホテルで老夫婦がベッドに腰掛てぼうっと夜景を見ている場面がもっとも艶っぽかったというのが面白い。まったく色気のない映画なのに、なぜか老夫婦の第二の新婚旅行のような風情が微笑ましい。

 「東京物語」には、しみじみとした悲しみの底にひっそりと横たわるような密やかなユーモアが流れていたが、「東京家族」ではそのユーモアがもっと前面に出ている。

 東山千栄子のふくよかでやさしい笑顔に心洗われ、原節子の輝くばかりの美しさに魅入られ、杉村春子の演技とは思えない江戸っ子ぶり(故郷は尾道でしょう?!)に驚き、笠智衆の淡々としながらも孤独の淵にいる老人ぶりにも感嘆した観客には、新作での役者たちの奮闘がどう写るのか? 一例を挙げれば、橋爪功の老人演技に脱帽。背中を丸めてよぼよぼ歩くその姿は本物の老人のようだ。この演技のせいで橋爪は背中を痛めてしまったというから役者魂すさまじきかな。

  互いに気遣い思いやりをもっているように見えて実はそれぞれの生活に忙しい家族、というものの絆はどこにあるのだろう? 老人の絶望や孤独が色濃く尾を引く小津作品に比べて、希望と暖かさの余韻を残した山田作品、どちらが観客のお好みに合うか。

 このように、「東京物語」と見比べて二つの家族の違いに時代の流れを感じるとともに、変わらないもの、変わり行くものを映画の中に「読む」という楽しみもあろうというもの。

146分、日本、2012

監督: 山田洋次、脚本: 山田洋次、平松恵美子、音楽:久石穣

出演: 橋爪功 吉行和子 西村雅彦 夏川結衣 中嶋朋子 林家正蔵 妻夫木聡 蒼井優