吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

顔のないヒトラーたち

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 うまい邦題をつけたものだと思う。戦争中のドイツは誰もかれもどいつもこいつもナチだったのだ、という意味で、誰もがヒトラーだった、誰もが戦争犯罪に手を染めていたのだ、と告発する映画である。と同時に、一方的にナチスの犯罪を断罪するだけの作品ではないところに見ごたえがある。

 他者の罪を弾劾し正義を貫こうとする者は、その言葉がわれとわが身に跳ね返ってくることをまた覚悟せねばならない。


 本作は、1963年にドイツのフランクフルトで始まったアウシュヴィッツ裁判をめぐる物語。ドイツ人自身による戦犯裁判へと至る道を、若き検事ヨハン・ラドマンを主人公に、彼の生硬な正義感を軸にして興味深く描く力作。

 映画は1958年から始まる。戦後復興の渦中にある西ドイツのフランクフルト・アム・マインの新米検事ヨハン・ラドマンは、自分の仕事が交通違反を扱うつまらない事件ばかりなのを嘆いていた。そんなある日、左翼新聞社の記者が、「元ナチス親衛隊(SS)員が教師をしている」という告発を検察庁に訴える。西ドイツでは脱ナチの季節は終わったはずだった。しかし、実は若きラドマンもアウシュヴィッツ収容所のことを知らなかったように、国民のほとんどにこの絶滅収容所のことは知られていなかったのだ。

 すでにニュルンベルクの戦犯裁判は行われていたが、そこで裁かれたのは22人の最高幹部たちだけだった。ラドマンたちが逮捕しようとしたのはもっと「ふつうの」ナチ党員たちであった。この捜査には多くの困難がつきまとまとった。検事たちの中にも無関心または反対する者が少なくなく、そんな状況下で証拠と証人を集めなくてはならない。そのための膨大な資料調査が目の前に立ちはだかっていた。ラドマンがつかんだ証拠をもとに調査の徹底と戦犯逮捕を命じたのは検事総長のフッリツ・バウアーである。ユダヤ人である彼は政府中枢や司法界の中の元ナチ党員たちの存在を知っていたために、告発に慎重にならざるを得なかった。バウアー検事総長は確たる証拠を集めるようラドマンたち検事に命じる。

 1958年に始まったアウシュヴィッツ戦争犯罪の捜査から5年が経ってようやく裁判が始まるのだが、そこに至る過程では、アウシュヴィッツの「死の天使」と恐れられたヨーゼフ・メンゲレ医師やアイヒマンのように南米に亡命中の者たちの捜査も行われた。特にラドマンはメンゲレを追い詰めようと必死になり、何度も悪夢にうなされる。 

 この作品はアーカイブズ映画でもある。膨大な文書資料はアメリカ軍のドキュメントセンターに保管されていた。ラドマンは何度もセンターに通って資料の山と格闘している。その壮観な資料群を見ると、わたしはため息が出ると同時に興奮してしまう。よくぞこれだけの記録を廃棄せずに保管してあるものだ! 素晴らしい。しかし、メタデータは存在しないのか? かなり傷んでいる資料もあるが、修復は? などなどいろいろと気がかりになることも多い。

 容疑者はアウシュヴィッツ収容所に赴任していた8000人の兵士たち。その全員を被疑者としてもしも訴追したら、その影響は家族を含めて何万人にも及ぶだろう。ドイツ中に「戦犯」が存在するのである。

 検察庁の中にもラドマンたちの捜査立件を快く思わない者が何人もいた。ラドマンは検事正に「ドイツじゅうの若者に、父親が殺人者だったかと問い詰めさせるのか?」と詰め寄られる。

 主人公であるヨハン・ラドマンは実在の検事3名を集約した人物だという。架空の人物であるだけに、彼の私生活をめぐっては自由な味付けが可能になった。ヨハンの生真面目な正義漢ぶりや、捜査に没頭する苦悩、恋人との確執など、うまく織り交ぜてある。また、彼の捜査に協力する中年太りの女性秘書がいい味わいを見せる。ヨハンにとっては母親代わりともいえる役どころだ。

 この映画を見ながらいくつもの作品が頭の中を去来した。「MY FATHER マイ・ファーザー」「ハンナ・アーレント」「ヒトラーの審判 アイヒマン、最期の告白」「愛を読むひと」、、、、
 今や、ポーランドアウシュヴィッツ収容所が絶滅収容所であったことを多くの人々が知っている。そこで行われた残虐行為も、ホロコーストという言葉も人口に膾炙している。そのことを前提にこの作品が作られているゆえに、わたしたちは映画の中であえて触れられなかった多くの証言を脳内で再生してみることができるのだ。

 「正義」を疑え。ヨハン・ラドマンの告発と糾弾がわが身を撃つように、わたしたちは「正義の告発」のうさん臭さを常に忘れることなく、自らに問いかける reflective な態度を持ち続けることが必要だろう。

IM LABYRINTH DES SCHWEIGENS
123分、ドイツ、2014 
監督: ジュリオ・リッチャレッリ、製作: ウリ・プッツほか、
脚本: ジュリオ・リッチャレッリ、エリザベト・バルテル、音楽: ニキ・ライザー、ゼバスティアン・ピル
出演: アレクサンダー・フェーリング、アンドレ・シマンスキ、フリーデリーケ・ベヒト、ヨハネス・クリシュ、ハンジ・ヨフマン、ヨハン・フォン・ビューロー、ロベルト・フンガー=ビューラー、ルーカス・ミコ、ゲアト・フォス