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吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

しあわせへのまわり道

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 映画のポスターにはターバンを巻いたインド人の隣にハンドルを握る白人女性が写っている。思わず「ドライビング Miss デイジー」を連想したように、本作のテーマに移民差別もひそまれている(運転手が男女逆だが)。「夫婦関係に破れた女性を教え諭すインド人運転手」という構造は、男女の権力関係も白人とインド人の権力関係をも相互に乗り越えていく力が、一個人対個人のコミュニケーションに宿していることを示している。

 物語はいきなりハイテンションで始まる。大都会のアパートメントから諍いながら飛び出してきた中年男女。タクシーに乗った二人は車内で罵り合い、女は興奮して男をつかむ。どうやら離婚問題がこじれたカップルらしいが、それにしてもけたたましい。知的な役柄が多いパトリシア・クラークソンが喚き散らす女を演じているのが奇妙な感じがする。が、うるさいのはこの巻頭だけで、あとはゆったりと静かに物語が展開する。

 主人公は人気書評家のウェンディで、彼女は突然夫から離婚を言い出されてパニックに陥っていたのだ。順風満帆な生活は終わりを告げ、気が付けば運転免許も持っていない自分が一人取り残される。一念発起して免許を取ることにしたウェンディの教官となるのがインド人のダルワーンである。ベン・キングズレイは登場するたびに「あ、ガンジー」と思ってしまうが、この映画ではまったくガンジーに見えない。思慮深い亡命シーク教徒である彼は祖国では大学教員だったが、移民としてやってきたアメリカではインテリに相応しい職には就けない。そして何かあれば差別される、という立場にいる。

 そんな二人が出会って車を運転しながら様々に語り合う、静かな映画だ。ダルワーンのもとには故郷から迎えた妻がやって来て、しかし彼女は彼が求めるようなインテリ女性ではないので、二人の間はギクシャクする。ワーズワースの詩集を読みながらソファに妻とともに寝そべるという、まるで「ある愛の詩」のオリバーとジェニーのようなインテリカップルを夢見るダルワーンが微笑ましい。

 中年になって運転免許を取るというのは、ある意味、生き直しにも通じる。それは44歳で免許を取ったわたしにも身に覚えのあることだ。車の運転を人任せにしない。そのなんでもない一つの出来事が女の自立へとつながり、新しい一歩へと踏み出すきっかけとなる。心を固くしていたウェンディが優しく礼儀正しいダルワーンとの交流を通じて徐々に心を開き、自分のこれまでの生きざまを反省していく下りが丁寧に描かれている。ダルワーンがウェンディに惹かれていく様子も手に取るようにわかり、観客をやきもきさせる。二人はどうなるのであろうか。そしてウェンディの新しい門出は。

 これまで、生と死を見つめる重厚な作品が多かったイザベル・コイシェ監督にしては、軽やかな後味を残す映画だ。夏のニューヨークの明るい太陽も、人々の心を写し取ってまばゆい。ベン・キングスレイがとてもいい味を出していて、シーク教徒男性の高潔な精神を体現している。中高年にお薦めの一作。

 ※この文章は機関紙編集者クラブの『編集サービス』紙2015年8月号に書いたものを元にしています。

LEARNING TO DRIVE
90分、アメリカ、2014 
監督: イザベル・コイシェ
出演: パトリシア・クラークソンベン・キングズレー