吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

あの日のように抱きしめて

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 ヒチコックの「めまい」にヒントを得、ユベール・モンテイエの小説『帰らざる肉体』をもとにしたサスペンス。

 非常に地味で落ち着いた展開。夜の場面も多くて、前半はさほどの山場もないため、うっかりすると意識不明になる。最前列のおじいさんは途中完璧に爆睡していた。

 テーマは重い。ナチスの収容所で顔面にひどい重傷を負ったユダヤ人女性ネリーは、かろうじてアウシュヴィッツから生還する。親友の女性弁護士に引き取られて整形手術を受け、生き別れになった夫を探してベルリンに戻ってくる。やっと見つけた夫ジョニーはしかし、顔が変わってしまったネリーを妻だと気づかない。あろうことか、「君は妻によく似ている。妻のふりをしてくれ。亡くなった妻の財産を自分のものにできる。分け前は渡すよ」と持ち掛ける。ネリーは複雑な心境ながら、ジョニーの申し出を受け入れて妻を演じる。ジョニーはネリーの歩き方を見て「違う違う、そんなんじゃない。もっと上品で美しかったんだ、彼女は」とネリーに亡妻のしぐさを教えこんでいくジョニーだった。。。。

 

 そもそもなんで自分の妻だと気づかないのか、とても不思議になるし、おかしいだろう、そこは。と突っ込みたくなってくる展開なのだが、実はこれはジョニーがどうしても妻は死んだと思い込みたい事情があったからなのだ。少しずつ、彼らの戦前の生活の断片が語られ、ジョニーの「罪」があらわになってくる。この映画では収容所生活がまったく語られないが、絶滅収容所がいかに過酷なものであったのか、囚われた人々の身体だけではなく心まで破壊したところであったということを知らないと、この物語の深みが理解できない。この映画は戦後70年も経って作られたからこそ、観客のために説明する部分を省くことができたのだ。もはや強制収容所の実態やホロコーストを知らない観客はいない。 

 ジョニーの内面はこの映画では想像するしかなく、ネリーの考えとてはっきりはわからない。なぜネリーはジョニーに「わたしはネリーよ、思い出して」と言わないのか。ネリーにとってもこの演技は彼女自身を取り戻すのに必要な過程だったのだ。親友にはイスラエルに行って新しい生活をしようと誘われるが、ネリーは愛するジョニーとの復縁を望んだのだった。 

 戦争で傷ついた人々の心は簡単には癒えない。その傷の深さを今のわたしたちは理解できないのかもしれない。この映画でのジョニーとネリーの不可解な偽装夫婦の姿を見て、最初は「そんなありえない設定」といういぶかしい気持ちが強かった。しかし、感動のラストを迎えたあと、もう一度見たくなる。一度見ただけではわからないことがこの作品にはたくさん詰め込まれている。彼の戦時中の行動を知ってからもう一度見直すと、このスリリングな心理劇の綾が、そしてジョニーの罪の意識も見えてくるだろう。 

 ユダヤ人作曲家がアメリカに亡命して作った「スピーク・ロウ」という名曲がクライマックスでの感動を一層高める。ラストシーンにはいくつもの謎が残り、ネリーの決断がこれからの彼女の人生をどう開いていくのか、余韻を残して観客に提示される。これをどう受け止めるのか、どう受け止めたいのか、見る人によって解釈がいくつにも分かれるだろう。静かなフィルム・ノワールの佳作。あとからじわじわ来ます。

PHOENIX

98分、ドイツ、2014

監督: クリスティアン・ペッツォルト、原作: ユベール・モンテイエ 『帰らざる肉体』、脚本: クリスティアン・ペッツォルト、撮影: ハンス・フロム

出演: ニーナ・ホス、ロナルト・ツェアフェルト、ニーナ・クンツェンドルフ