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吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

アリスのままで

 

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50歳の誕生日を迎え、レストランで家族に祝ってもらった幸せ一杯のアリス。高名な言語学 者としてコロンビア大学で教鞭をとり、世界をめぐって講演を行う彼女がある日、講演の途中で言葉を失う。とっさに機転を利かせて取り繕うが、「語彙」という言葉が出てこなかったことに後で気づいて愕然とする。キャンパスをジョギングしていて迷子になる。そんなことが繰り返されてとうとう神経科を受診したところ、若年性アルツハイマー症との診断を受ける。アリスと家族の闘いが始まった。それは勝ち目のない闘い。果たしてアリスは自我を保ったままいつまで正気でいられるのだろう。アリスがアリスのままでいられる最後の夏に、彼女はある決断をする、、、、

 とても他人事ではなかった。一瞬たりとも画面から目が離せない。思い当たるふしがありすぎる。若年性アルツハイマーは家族遺伝性であり、発症率は百パーセントで、治る見込みはないという。これほど絶望的な病気があるだろうか。「癌だったらよかったのに」とアリスは泣き顔で言う。癌なら恥ずかしくない、と。そうだ、認知症は恥ずかしい。他人に知られたくない。単なる物忘れだよ、と言い張りたい。しかし失われていく記憶は人格そのものを崩壊へと導く。わたしたちは痴呆症状に陥ったアリスをそれでもアリスだと認識してアリスとして愛することができるのだろうか?

 家族の愛に包まれたアリスは、医学博士である夫とも仲睦まじい。アリスが発症しても夫のジョンは優しく、なんとかして彼女の支えになろうとする。しかし一方で、やはり限界があるのだ。ジョンとても自分の仕事が大事で、アリスの世話だけをして人生を消耗する覚悟はもてない。どれほどの善人であろうともジョンもやはり葛藤し、悩み、涙する。ジョンが善意の人であるだけに、その悩みもまた深い。これもとてもよくわかることだ。彼が自己犠牲だけの人物ではなく、当たり前に立身出世を望む人間であるゆえに、アリスの存在が足手まといになる。この夫婦の姿がある時は微笑ましく暖かく、ある時は残酷に描かれる。

 認知症の人間には世界がどのように見えているのだろう。カメラは観客に疑似体験させるべく、さまざまな工夫を凝らす。アリスの周りから風景が遠のき、輪郭がぼやけていく様や、時間の経過が伸び縮みする様もうまく表現されている。認知症の患者には時間の感覚が通常とはまったく異なる。一ヶ月前のことを昨日のことだと錯覚しているし、昔のことと今のことが混同される。これはわたしの母にも見られる症状なので、映画を見ていてとてもつらくなる。アリスが徐々に壊れていく様をジュリアン・ムーアは見事に演じた。発症前、あるいは発症直後のアリスの生き生きと美しい表情と、病が進行してからの輝きを失った表情との対比が残酷なまでに鮮やかだ。

 アリスの絶望は深い。アリスが自らに課した「あること」すら、病気が進行してしまったら実行に移すことができない。そしてやがて絶望すら認知できなくなる。だが、アリスは愛を忘れない。口ごもりながら、言葉を精一杯押し出すようにどもりながら言う、”love" という最後の台詞が胸に響いた。

STILL ALICE
101分、アメリカ、2014 

監督・脚本: リチャード・グラツァー、ワッシュ・ウェストモアランド、原作: リサ・ジェノヴァ、撮影: ドニ・ルノワール、音楽: イラン・エシュケリ 

出演: ジュリアン・ムーアアレック・ボールドウィンクリステン・スチュワートケイト・ボスワース、ハンター・パリッシュ、シェーン・マクレー