吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

疎開した40万冊の図書

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 東京に空襲が増す戦時下に、図書館の蔵書を40万冊も疎開させた事実はあまり知られていない。これは、文化を尊んだ人々が、懸命に努力して本を残していったその様子を証言でつづったドキュメンタリー。

 3月3日にエルおおさかで開催した「上映する会」は大盛況で満員御礼、事前の申込みもお断りしたうえに、当日入りきれない人に10人以上帰っていただいたほど。これほどの盛況になるというのも、この映画がもつ「本は文化の源。その文化をどんなときも守りぬく人々がいる」というメッセージに共感する人が多いからだろう。

 1944年、敗色濃い日本、東京都立日比谷図書館中田邦造館長は約40万冊の蔵書を疎開させた。疎開させた本は図書館の蔵書だけではなく、古書店から買い取った貴重書や個人の蔵書も含まれている。運搬手段にも事欠く戦争末期に、命をかけてまで本を守る必要があるのか? その答えは出ない。しかし、戦時下に本を焼失から守るために大八車で田舎に疎開させた中学生たちが、80歳を超えた現在、当時を振り返って「大事な本なんだと痛感した」と証言する姿には胸が熱くなる。

 疎開した本はどこに収納されたのか? 農村の民家の蔵が書庫に充てられた。本を預かった旧家の方たちの証言が続く。正直言うと、この部分で少々眠くなった。現在の人々が過去の記憶をたどりながら証言する姿はとても貴重なのだが、同じような場面が続くとつらい。映画的にはここで再現映像なり実写を挿入してほしかった。金高監督は新藤兼人の助監督を経験しているという。ならば、師の作品「さくら隊散る」に倣って再現ドラマの部分を挿入してもよかったのではないか。低予算で製作される映画にそこまで望むのは酷なことではあろうことは重々承知の上で、あえてないものねだりをしてみたい。

 監督は上映前のトークで、「映画は削って削って削っていく作品だが、本はどんどん書ける。映画に盛り込めなかったことは本に書いた」とおっしゃっていたが、この映画はあと10分削れるのではないかと思えた。

 多少辛口のことを書いたが、この映画の優れている点は、過去の戦時下の事例だけではなく、現在の「天災・人災による図書館の被害」にも目を向けていることだ。偶然にも、金高監督は震災直前の飯舘村図書館を取材していた。住民に密着した図書館活動を映像に収めていたのである。取材からわずか一ヵ月後に飯舘村は震災と原発被害に見舞われる。やむなくすべてを打ち捨てて村民は避難した。図書館も放置されてしまったのだ。しかしその後、一時的な立ち入りを許された村民たちは図書館に戻り、白い防護服を全身にまといマスクを被って、放置された図書館の本を消毒した。その姿には思わず落涙してしまった。さらには、市の中心部が津波に遭った陸前高田市の図書館の様子も写る。ここは市立図書館と博物館が隣接していたのだが、どちらも津波に遭って職員は全員死亡した。その様子はsaveMLAK(http://savemlak.jp/wiki/saveMLAK)の仲間が何枚も写真を撮っていたので何度も見ているのだが、何度見ても心が痛む。

 金高謙二監督は原作本の中に「映画では描ききれなかったことをいろいろ調べて書き込みました」と述べておられた。この原作本は貴重な記録集ともいえる。本を残すことに命がけで執念を燃やした中田館長が戦後は労組と対立したことなど、とても興味深い。日比谷図書館の事例だけではなく、全国のいくつもの図書館で本を疎開させた人々がいたことを丁寧に記録してある。この原作本もぜひ大勢の人に読んでほしい。

 振り返って、現在の大阪は人災によって本(資料)が失われようとしている場所ともいえる。身体を張って資料を守る気概のある人が次に続いてくれるだろうか? 

 大勢の人にこの映画を見てほしい。そして、本(資料)を守ることも意味や意義も考えてほしい。

分、日本、2013

監督・撮影・編集: 金高謙二

ナレーション: 長塚京三

出演: 阿刀田高早乙女勝元