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吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

少年は残酷な弓を射る

 年末年始怒涛の映画評マラソン何本書けるかシリーズ第6弾。もうこれが限界。既に年が明けてしまった。

 さて、本作は決して気持ちのいい映画ではない。むしろ、どんよりとした絶望感が残る後味の悪い作品だが、事件の加害者の親という立場に立たされた女性の絶望と悔恨、恐怖と戸惑いを独特のタッチで描いていて、作風は凝っている。

 冒頭、トマト祭で真っ赤に染まるティルダ・スウィントンの不吉な姿が描かれると、それは彼女の夢であることがわかる。そして、その禍々しい夢を見た原因は観客には知らされない。回想シーンを重ねていくことで徐々に彼女の息子が何をしたのかが分かってくる。息子と母との生まれた時からの葛藤・憎悪が徐々に露わになり、母親の現在の過酷な立場も明らかになる。事実がすべて観客に知らされるのはラスト近くになってからなので、映画全体はキリキリとした痛みと緊張を持続させ、サスペンスタッチで展開する。

 子どもが親を選べないのと同じく親だって子どもを選べない。手のかかる子ども、反抗的な子ども、オムツがなかなか取れない子ども、泣き止まない子ども、どれもこれもうちのYと同じではないか。見ているうちに他人事とは思えず胸がキリキリと痛んでくる。子どもは親を束縛するモンスターだ。その思いがティルダ・スウィントンの病的に神経質な表情からありありと伺える。親に愛されていないと直感したのか、息子ケヴィンは母親を困らせることだけを生きがいのようにして成長した。それは自分を望まぬ子として生んだ母への復讐なのか?

 裕福な家庭で何不自由なく暮らし、母親の庇護と養育を受けたにもかかわらず、ケヴィンは不気味な子どもになっていく。だが、不気味なのは母親にとってだけであり、父親には愛らしい笑顔を向けるのだ。やがてその美しい顔とは裏腹に不敵な笑みを浮かべながら彼は弓を引く…。

 ティルダ・スウィントンの演技が絶賛されたようだが、わたしはそれ以上に子役達がすごいと思った。不機嫌な表情を見せる子役たち、どうやって演技させたのかと思うほど上手かった。

 映画はスタイリッシュでとても見せ方がうまいのだが、技に凝ったわりにはテーマはそれほど深くない。衝撃的な内容なのだが、知性を刺激されるような深みがない。撮り方がソダーバーグに似ていると思ったら、製作総指揮に彼の名前が。(レンタルDVD)

WE NEED TO TALK ABOUT KEVIN
112分、イギリス、2011
監督: リン・ラムジー、製作: リュック・ローグ、ジェニファー・フォックス、ロバート・サレルノ、製作総指揮: スティーヴン・ソダーバーグほか、原作: ライオネル・シュライバー、脚本: リン・ラムジー、ローリー・スチュワート・キニア、音楽: ジョニー・グリーンウッド
出演: ティルダ・スウィントン、ジョン・C・ライリー、エズラ・ミラー、ジャスパー・ニューウェル、ロック・ドゥアー