吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

ライク・サムワン・イン・ラブ

 キアロスタミ節全開の本作は今年ナンバーワンの映画かも。「別離」のアスガー・ファルハディといい、イランの監督恐るべし。完全なる日本映画をイラン人に撮られるとは! 日本よ、これがイラン式日本映画だ。グローバリズム万歳。
トスカーナの贋作」と同じ撮り方。「トスカーナ」が好きな人にならきっと受ける。


 主人公は84歳の元大学教授。今でも現役の研究者で、社会学の新刊書を執筆している。まるで激高老人みたいですな。


 映画はどこかのバーの場面から始まる。そこがどこなのか、携帯電話でしゃべっている人物は誰で、いったい何が彼女を不機嫌にさせているのか。どうやら恋人とトラブルがあったみたいで、彼女は友人に「もー、うんざり」という言い方をしている。可愛い顔をしたその若い女もその友人も化粧が濃い、服装が派手、どこか普通とは違う感じがする。と思っていると、やがて「昨日寝てないのよ!」とヒステリックに叫んでいた彼女は渋々タクシーに乗り込むことに…。


 観客はいきなり、どこかで淡々と進む日常生活のなかに放り込まれる。状況説明はない。なんだかよくわからない台詞がぐだぐだと述べられ、なにがどうなっているのかわからないながらも、どうやらこの若い女が主人公らしくて、彼女はクリティカルな状況にいるらしい、ということがわかってくる。


 状況がだんだん明らかになるその過程で、キアロスタミお得意のガラスの二重写しや、クリアな音、という映画内世界のリアリティあふれるリズムと明快な隠喩(というのも語義矛盾か)が観客をぐいぐいとつかみにくる。実に自然にリアルに語られるせりふ回しには、ほんとうに目の前にこういう人々が現在するかのような錯覚さえ覚えてくる。
 最初のうち、訳がわからないのに画面はやたら長回しで人物の行動を追い、携帯電話の留守電を何度も再生したりして、なんだかとっても退屈、と思っているうちに気がつけば観客はキアロスタミの術策にはまって、すっかり手に汗握る展開へ。最初ゆっくり、じっくり、もっさりと始まった物語が、やがて徐々に霧が晴れるように状況を明らかにしていく。と同時に実はすべてが語られているわけではなく、観客に隠されたさまざまな状況がわたしたちの想像力をかきたてる。この、露呈していく事実と、隠されていく事実の淡いが憎いほどうまい。


 「男と女と車があれば映画は作れる」と言ったのはゴダールだが、この「ライク・サムワン…」もその通りの作り方だ。キアロスタミ監督は車の使い方が絶妙にうまい。「トスカーナの贋作」と同じ撮り方をしていて、フロントガラスに映りこむ都市の風景が登場人物たちの心象風景と見事に重なっていく。撮影監督の柳島克己がキアロスタミの要求によく応えて、いい仕事をしている。そして音も効果的に拾われている。バーの会話、都会のざわめき、窓の外から聞こえてくる子どもたちの遊び声、音だけが聞こえて姿が見えない、もしくは姿が遅れて見えてくる、という演出が多用される。聴覚による把握と視覚による確認がずれていく、思わずデリダの「差延」という概念が頭をよぎる。


 車の使い方がうまい、と述べたのは、何も運転している姿を美しく撮っているとか車内の会話の撮りかたがうまいといったことにとどまらない。老人が外車を運転している、という状況だけでも随分スリリングではないか。日常の中に潜む危機的な場面をキアロスタミは見逃さない。次に何が起きるのか物語がどう転がるのか、さっぱり読めないからこそ、観客はちょっとした場面にもいちいち手に汗握ってしまう。そこをキアロスタミは計算している、実に狡猾な監督である。


 映画は終わる。唐突に、あっと驚いている間に終わってしまう。それはキアロスタミ自身が言うように、彼の映画には始まりもなければ終わりもない、その通りだ。老境にある人間の孤独や媚び、嘲弄、というものを思う存分見せたかと思うと若者の逆襲を描くことも忘れない。若者と老人との対比を見せつつ、そして人生は続くその哀れさをさまざまな年齢・階層の観客に差し出した。観客によって受け止め方がかなり変わりそうな作品だが、ものすごく面白いことだけは間違いない。見事なり、キアロスタミ。「トスカーナの贋作」に続いて脱帽。

LIKE SOMEONE IN LOVE
109分、日本/フランス、2012
監督・脚本:アッバス・キアロスタミ、プロデューサー:堀越謙三マラン・カルミッツ、撮影:柳島克己
出演:奥野匡、高梨臨加瀬亮、でんでん、森レイ子