吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

さようなら、葉っぱさん

 葉っぱ64さんこと栗山光司さんが亡くなって早や2週間近くになる(享年68歳)。10月1日に葉っぱさんの訃報を聞いてすぐにエル・ライブラリーのブログに追悼の言葉を書いた。http://d.hatena.ne.jp/l-library/20121001
 ライブラリーのブログだからあえて淡々と書いたのだけれど、いろんな思い出が去来して、個人ブログにはなかなか追悼文を書くことができなかった。振り返れば、このブログにも葉っぱさんがつけてくれた「はてなスター」マークが至る所にある。ブックマークしてくださった記事もたくさん。
 ※葉っぱさんのブログ「終わりある日常」http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/
 ※葉っぱさんの訃報記事 http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20121001
 葉っぱさんとの出会いは2002年ごろだったか、オンライン書店bk1の書評コーナーでだった。ここで出会った人にはソネアキラさんやとみきちさんがいる。とみきちさんとはリアルでもお会いしたことがあり、葉っぱさんたちと盛り上がったものだ。
 葉っぱさんと出会ったころはブログは珍しく、まだ掲示板全盛時代だった。葉っぱさんはわたしの掲示板に書き込みしてくださるようになり、大いに意気投合した。葉っぱさんが大阪在住であると判明するや、掲示板のオフ会にもさっそく参加してくださり、何年も前からの知り合いのようにすぐに打ち解けてみんなで楽しい時間を持つようになった。
 その後、葉っぱさんはご自分のブログを開設されて、その名前がしょっちゅう変わるものだからわたしは苦笑しながら見ていたものだった。葉っぱさんもわたしもbk1の「書評の鉄人」に早い時期に選んでもらえて、上記のソネアキラさんやとみきちさんたち他の鉄人さんたちも交えて、本の話題に限らず、さまざまなことを議論したり語り合ったりしたものだ。同じ時期に森岡正博さんの掲示板で知り合ったベルギー在住のshohoji(shohojiさんも書評の鉄人)さんともすっかり仲良しになり、掲示板の常連さんとしていつもお話をしていた。
 その後、2008年にわたしの勤務先法人が大阪府から委託を受けて運営していた「大阪府労働情報総合プラザ」が橋下徹知事によって年度途中で廃止され、補助金も全廃されて大変な苦境に陥ったとき、まっさきに支援の手を差し伸べてくれたお一人が葉っぱさんだった。2008年10月にエル・ライブラリーを立ち上げて以来、ずっと財政難に悩まされているわたしたちを励ますために、どれほど葉っぱさんが尽くしてくださったか、数え上げればきりがない。ボランティアで古本市の棚作りに精を出し、わたしたちスタッフにお菓子の差し入れをし、いろんな情報を持ち込み…。月に一度はさわこさん、amakoさんと4人でランチ会。いつもしゃべり続けるのは葉っぱさんだった。
 おっちょこちょいで気のいいおじさんだった葉っぱさんのエピソードは数え切れないほどある。先日、エル・ライブラリーで「葉っぱさんを笑って送る会」を5人でささやかに開いた。葉っぱさんの笑えるネタを持ち寄ってね、と言ったらほんとに次々とネタが持ち上がってさばききれないぐらいだった。とみきちさんやshohojiさん、弥十七さんがメールで長文コメントを寄せてくださった。長すぎて、読み上げるのも大変なくらいの力作ぞろいで。それぞれに笑えるお話やしみじみするエピソードを語ってくれていた。葉っぱさんの写真をPCでスライドショー上映しながら、何年も前のオフ会の写真を見て「葉っぱさん若いなぁ」「谷合さんも若い」とか言いながらワイワイと時を過ごした。

 
 ★葉っぱさんへ
 葉っぱさんは初めて出会ったときから前立腺癌の患者さんでしたね。わたしは葉っぱさんがいつもあまりにも元気なので、がん患者であることをすっかり忘れていました。この1年ほどは徐々に弱っておられて心配していましたが、それでもなんだか葉っぱさんは死なないような気がしていました。葉っぱさんが亡くなる前の日、さわこさんとamakoさんの三人でお見舞いに行きましたね。台風に直撃されながらも車を運転して病院まで行きました。どうしてもあの日は行かなくては、葉っぱさんに会いに行かなくては、という強い思いがありました。一日お見舞いを延ばせばそれだけ葉っぱさんとお話できる可能性が低くなるような気がしたのです。
 あのときも息が苦しい苦しいと言う葉っぱさんの声があんまりにも大きいから、次の日に亡くなってしまうなんて、まったく予想もつきませんでした。わたしたちにブログのパスワードを教えて安心して逝ってしまったのでしょうか。最後に握った葉っぱさんの手は赤ちゃんのように柔らかくてふっくらしていました。本当は腎臓の機能低下のためにむくんでいたのですよね…。
 いつもいつもしゃべるのももどかしいほど、たくさんわたしたちに話したいことを抱えておられましたよね。大きな声でしゃべって笑い、おっちょこちょいで早とちりで、話題はあちこちに飛び、いろんなことに興味津々でじっとしていられなくて。
 高槻ジャスストリートでオフ会したときは、他人のTシャツを着て「小さいなぁ、入んないよ」と言いながらパッツンパッツンのTシャツを無理に着ていましたね。「あれ? 俺のじゃねえや」と気づいて恥ずかしそうにTシャツを脱ぐ葉っぱさんの姿に、一同爆笑しました。いまだに尚喜さんはそのことを昨日のように語ってはまた笑っていますよ。
 葉っぱさんは新しいもの好きで、すぐにポメラiPhoneを買って喜んでいましたね。あのポメラは結局飽きちゃったのか、わたしに下さいました。エル・ライブラリーのバザーで売り飛ばしたことは内緒です。
 病室で、「葉っぱさんのブログを代わりに更新しておきましょうか? なんて書いてほしい?」と訊くと、「いま、入院しています。もうすぐ終わりだよ」と言ってハハっと笑った葉っぱさん。ほんとにもうあの大きな声を聞くことはないのですね。今でも、「やあ」と手を上げてお腹を揺らしながら葉っぱさんがエル・ライブラリーにやってくるような気がします。葉っぱさんが最後まで気にかけてくれていた、いつも心配をおかけしていたエル・ライブラリーをこれからもさわこさんと一緒に守っていきます。葉っぱさんの訃報を知らせてくださったお友達のYさんと、電話で葉っぱさんのことを語り合いました。葉っぱさんがエル・ライブラリーを大好きでいてくださったとお聞きしました。とても嬉しいです。

 これまでほんとうにありがとうございました。10歳以上年上なのに歳の差を感じさせない、ほんとに気さくだった葉っぱさん。寂しいよ…。さようなら、葉っぱさん。いつかまたお会いしましょう。