人生には、何かを決断する「時期」がある。その時機を逸してしまえばもう取り返しがつかない。そんな臍をかむような思いを誰もが抱えて生きていく、それが生きるということなのかもしれない。思い通りにいく人生なんて人生じゃないんだ、きっと。
突然の事故で妻が意識不明の重態に。医師からはもはや回復の見込みがないと宣告されたマット・キング。さらに17歳の長女からは妻が浮気していたことを知らされ、ショックを受ける。妻エリザベスには恋人がいて、相手を本気で愛していたらしい。それでなくてもカメハメハ大王の末裔であるマットには一族の広大な土地を売却せねばならない問題が目の前に迫っていて、彼は人生最大の危機に陥る…。
マット・キングを演じたジョージ・クルーニーが悩める中年親父を好演している。舞台は常夏のハワイ。風景は素晴らしく、温暖な気候に人々はゆったり暮らしているかのように思えるのに、弁護士であるマットは仕事の鬼で、サーフィンなんて15年やっていなかった。物語は「ハワイで暮らしていても人生は楽じゃない」と嘆息するマットの独白で始まる。こういう映画はきっと原作があるに違いないと思いながら見始めた。原作小説を書いた作家カウイ・ハート・ヘミングスは女性だが、危機にある中年男性の心理をよくつかんでいるのだろう。あるいは、脚色がよかったのか。危機にある男性を描きながらユーモアを忘れない作風は、ハワイの気候風土とマッチして、重くて悲しいお話なのにどこかしら前向きの物語として、風がそよぐように語られている。
家族の危機を前にして、今まで関係がギクシャクしていたまま寄宿舎に放り込んでいた高校生の娘アレクサンドラを連れ戻し、ついでに付いてきてしまったそのボーイフレンドも一緒くたに、マットは妻の浮気相手探しを始める。マットにはもう一人、9歳の娘スコッティがいて、彼女には妻の浮気のことは隠している。最初のうち何かとぶつかってばかりいた長女とマットだが、浮気相手探しという探偵ごっこを始めるとだんだん心が通うようになり、またとんでもないバカ少年と思われたボーイフレンドもそう悪いやつではないということが分かってくる。妻=母の生命の危機、夫婦の危機を前にして思春期の娘が成長していく様子が説得力ある描写で紡がれていく。若者たちが気配りを知っていく過程が、ちょっとした台詞や人物の振る舞いによって実に上手く描かれてる。脚本がとてもいい。
一族を前にしてマットが語る言葉が感動的だ。先祖の土地を守ることの意味、一族に流れる文化や歴史を忘れない、そのことの意義を思う。
娘を亡くす父親というのは本当に悲しく切ない。身を切られるようなこんな場面をわたしはかつて義妹が亡くなったとき、眼にした。そのときのことを思い出して心で泣いた。と同時に、れい子ちゃんを喪った井上さんのことも思い出され、年齢はそれぞれに異なるけれど、幾つになろうと娘に先立たれた父親の嘆きと娘への慈しみの思いは画面から溢れ出ていて、しかもその場面をマットたちがそっと覗き見している、という設定にアレクサンダー・ペイン監督の手腕を見た。
長女アレクサンドラを演じたシェイリーン・ウッドリーがたいへんよろしい。これからブレイクするのではないでしょうか。
この映画はマットの視点で描かれている。観客は、妻に浮気されていたマットがかわいそうだと思いながら映画を見ることになるだろう。しかし、妻のほうがかわいそうなのではなかろうか。家庭を顧みない夫に愛想をつかして新しい恋に燃え、本気で愛した相手と一緒になりたいと願った矢先に事故に遭う。ひょっとしたらこれから本当の幸せがつかめたかもしれないのに、死んでいく。しかも夫を裏切った妻として葬られていくのだ。この映画では誰も幸せな人はいない。みんなが少しずつ、いや、大いに不幸で、なにか理不尽な思いを抱いたままだ。それが人生を生きるということなのかもしれない。楽しいのが人生ではなく、苦しいのが人生。それでもなぜ生きていくのだろう? そんな切なさが残る映画だけれど、鑑賞後の気分は悪くない。いやむしろどことなく暖かい。不思議な映画だ。
死ぬまでに一度はハワイに行ってみたいと思った…。まあ、無理でしょう。
THE DESCENDANTS
115分、アメリカ、2011
監督: アレクサンダー・ペイン、製作:ジム・バークほか、原作:カウイ・ハート・ヘミングス、脚本:アレクサンダー・ペイン、ナット・ファクソン、ジム・ラッシュ
出演: ジョージ・クルーニー、シェイリーン・ウッドリー、アマラ・ミラー、ニック・クラウス、ジュディ・グリア、パトリシア・ヘイスティ