吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

わが母の記

 奇をてらわずに普通に作られた映画というのがどれほど心和ませるものかが如実にわかる映画。本作を見る前にソクーロフ監督の「ファウスト」を見ていたので、ほっとした思い。ソクーロフはわたしとの相性が極端に分かれてしまう監督で、震えが来るほど好きな「エルミタージュ幻想」があるかと思えば、「ファウスト」のように「外れ」の場合もある。「わが母の記」には通好みの「ファウスト」より何倍も心を動かされた。



 井上靖の原作は淡々とした筆致で折り目正しく綴られたエッセイのような小説だが、本作では原作の端正さに豊穣さを加えてある。伊豆や軽井沢の深い緑、小川のせせらぎ、わさびの香りが漂ってきそうな棚田、紅葉や雪、高い林の木々、それらの美しさに目を奪われる。日本の田舎の風景はかくありきとの画作りは、海外向けの市場を狙ったかと勘ぐりたくなるほどだ。モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリ受賞も納得。

 また、豪雨の中、格子戸を背景に路地を挟んで少年と若い母が対峙する巻頭の場面はどこかで見たことがあると思ったら、小津安二郎の「浮草」だった。昭和の家族を描く映画の冒頭が昭和の大監督へのオマージュであるところが、この映画が正統派家族映画であることの宣言になっている。

 映画は原作には描かれていない多くのエピソードを加えて、人間関係が豊かな広がりを見せている。原作は井上靖をモデルとする作家を主人公とする一人称小説だが、映画では主人公伊上洪作を見つめる目が存在している。つまり、主人公自身が笑いや観察の対象になっているのだ。その「目」は三女琴子の視線である。原作にはなかった父と娘の葛藤を加えたことで、より広く家族の物語へとふくらみを持たせた原田真人監督の狙いは正解だ。

 作家伊上の父親が死に、葬儀を済ませたころから母・八重の記憶が曖昧になっていく。10年以上をかけて少しずつ壊れていく母親と息子・娘、さらにその娘たち3代に亘る愛憎の物語が始まる。幼いころ母に捨てられたという思いを抱き続けてきた伊上が自分を認知できない母親に「おばあちゃんは息子さんを郷里に置き去りにしたんですよね」と問いかける場面がクライマックスなのだが、不思議なことにその場面の印象がそれほど深くない。いや、正確にいうと、その場面の伊上洪作の涙にわたしは同調できなかった。それよりも、母八重の呆けた姿を演じた樹木希林の演技が素晴らしすぎて見入ってしまっていた。相手が自分の息子とはわからなくなってしまった八重は洪作を相手に古い想い出を語り始める。その母の思いを知ったとき、洪作はすべての恨みが消えていくのを知る。

 実際に井上靖は複雑な人間関係の旧家で育ち、母親への愛憎も複雑にからまったまま成人した。原作小説を読む限り、井上が母親と和解したとか母の真意を知ったという場面はない。だからこの場面は原田監督が創作した、まことに映画らしいクライマックスなのだ。ほかにも映画らしいテンポのよい場面がいくつも創作されている。前半の小気味よい台詞回しのテンポのよさ、自然にあふれ出てくるような早口の台詞は、若干聞き取りにくい欠点もあるものの、映画の世界にスルっと観客を没入させるうまい演出だ。

 ただ1カ所違和感があったのは、伊上家の家族がやたらハグすること。昭和40年頃の日本の家族はハグなどしない。それともこの一家は別だったのだろうか。


 文壇の大御所となる(既になっていた?)大作家の家の様子が細かく描写される場面もたいへん興味深い。著書の検印を家族総出で大騒ぎで行っているのを見て、「ああそうか、昔は著者検印があったんだ」と懐かしく思う。作家の書斎というのも関心をそそられるものだが、ロケでは実際の井上靖の邸宅が使われたという。この邸宅は北海道の井上靖記念館に移築される直前のものをロケに使ったという。


 母も祖母も伯父も伯母も長生きした母方の人はすべて認知症を患った(患っている)わたしにとって、痴呆はまったく他人事ではない。むしろ、昨今の自分自身の衰えを考えるにつけ、自分自身のことだとしみじみ思う。老いも認知症も、親の世代のことではなく、今まさに自分が感じている症状そのものだ。親の痴呆の次は自分自身の痴呆が待っている。井上靖のような金持ちと違って庶民の我が家では親の介護のためにどれだけのことができるか、大きな不安があるが、目の前に迫ったその時をひしひしと感じながら映画に見入っていた。

 松竹映画とは相性が悪いことが多いのだが、今回は役者の名演もあり、満足のいく一作であった。

118分、日本、2011
監督・脚本: 原田眞人、プロデューサー:石塚慶生、原作: 井上靖、撮影: 芦澤明子、音楽: 富貴晴美
出演: 役所広司樹木希林宮崎あおい南果歩、キムラ緑子、ミムラ、赤間麻里子、菊池亜希子、三浦貴大真野恵里菜三國連太郎