吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

キリマンジャロの雪

 タイトルはヘミングウェイの短編小説とは何の関係もなく、1966年に大ヒットしたフランスのスタンダード曲から取られた。映画の中ではキリマンジャロは映りもしない。南仏の港町マルセイユを舞台に、リストラされた労組の委員長が貧しい若者を救うために手を差し伸べるという感動的な物語だ。ただし、心温まるベタな物語かと思いきや、そんなに単純な映画ではなかった。

 港を背に、造船所でリストラのためのクジ引きが行われる場面から物語は始まる。リストラされる20人の名前を読み上げる労組委員長ミシェルは自分の名前を書いた紙も引き当ててしまった。委員長の特権で自分をクジから外すことができたのにそうはしなかったミシェルは、その日を限りに職場を去ることになる。その後間もなくしてミシェル夫妻の結婚30年を祝うパーティが開かれ、子ども達や妹夫婦がお金を出し合ってキリマンジャロへの旅行券をプレゼントしてくれた。しかしその旅行券も金も強盗に遭って盗まれてしまった。犯人が自分と同じ職場にいて一緒にリストラされた若者クリストフであることを知り、愕然とするミシェルだったが…。

 舞台となったマルセイユは南仏特有の明るい太陽が輝く温暖な地だ。マルセイユ出身のロベール・ゲディギャン監督が故郷の心優しい人々を描いた物語はフランス映画らしい機知やユーモアに富んだ台詞がちりばめられ、日常生活の営みの細やかな描写が心和ませる。一見本筋とは無関係に思えるような台詞の応酬には、ふと「パリ、恋人たちの2日間」(ジュリー・デルピー監督、2007年)を思い出したりした。
 リストラ、貧困、育児放棄、といった暗い現実を描いているのに、マルセイユの空は明るく、アメコミ・ヒーローの懐かしい漫画本やらタマネギを剥く手元やらカクテルやらバーベキューやら、様々な小道具が映画全体にユーモアと温かみを与える。

 そして、フランス社会党創設者の一人ジャン・ジョレスに心酔するミシェルがたびたびジョレスを引用して語る言葉が強く印象に残る。
「グローバリゼーションとか経営者を責めるのは簡単だ。ジョレスは“勇気とは自らの人生を理解し、明確さを与え、深化させ確立し、社会と調和することだ”と」

 ミシェルはまた、若い世代からの糾弾を受けて、自分たちが闘争の歴史を語り継がなかったことを後悔する。ミシェルとて決して豊かなわけではないが、高度経済成長期に働き盛りを過ごした彼らは共働きで持ち家もあり、それなりに余裕のある生活をしている。若者からみれば特権階級であり「既得権益者」だ。いま日本で起きている、貧しい者がより貧しいものを差別したり公務員バッシングやらルサンチマンやら、といった状況がフランスでも同じように起こっているのだ。労働者のためにと思って30年も組合運動を続けてきたミシェルに突きつけられるのは若い世代からの離反の言葉であり糾弾であり、息子たちからの非難だ。このように、この映画は単に義侠心溢れる初老の労働者を描いただけではなく彼らを取り巻くさまざまな矛盾も切り取ってみせた。だから、わたしたちに突きつけられていること、考えさせられることは多い。

 弱者への暖かいまなざしというものは心なごむ美しい物語だが、まなざされた方はその視線をどのようにとらえ返しているのだろう? わたしはこの映画で描かれなかったクリストフのその後が気になって仕方がない。果たして弱者に差し伸べた手は彼らを自立させる一助となりえたのだろうか。自己犠牲の精神が相手に通じているのか、はなはだ心許ない。弱者のためを思ってなすことが本当に彼らを自立させることになるのかどうか。その危うさを常に自覚しつつ内省しつつ、ミシェルならきっとそのように悩みながらも前に進んでいくであろうと期待する。


 ところで、警察で取調べ中の被疑者の部屋に被害者を入室させて二人きりにする、などということがフランスではありえるのだろうか? この場面がものすごく不思議で不自然だった。

<6.30追記>
 この映画を語り合う茶話会をエル・ライブラリーで開催しました。抄録はこちら。http://d.hatena.ne.jp/l-library/20120628/1340956742
 その際に、わたしが最後の段落で書いた疑問に対する回答が寄せられました。「パリでなら無理だろうけれど、田舎ならありそうなこと」とのこと。

LES NEIGES DU KILIMANDJARO
107分,フランス、2011
監督・脚本:ロベール・ゲディギャン、脚本:ジャン=ルイ・ミレシ
出演: アリアンヌ・アスカリッド、ジャン=ピエール・ダルッサン、ジェラール・メイラン、マリリン・カント、グレゴワール・ルプランス=ランゲ