吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

道 〜白磁の人〜

 村上春樹が2009年2月16日にエルサレム賞受賞スピーチで「壁と卵」と述べたことの実例がこの映画の中で描かれる。「壁」とはシステム、「卵」とは個人のこと。システムのような強固で暴力的な装置に対して、人間は卵のようにもろく儚い。けれど、壁にぶち当たって壊れてしまう卵のような人間の側に寄り添いたい。それが村上春樹の言わんとした事のおおまかな理解だ。「壁が正しくて卵が間違っていたとしても卵の立場に立ちたい」と。
 内田樹さんはブログでもう少し違うことを述べている。

System というのは端的には「言語」あるいは「記号体系」のことだ。 私はこのスピーチをそう理解した。 「政治」とは「記号の最たるもの」である。 現に、このスピーチの中の「システム」を「記号」に置き換えても意味が通じる。

 内田樹さんによる村上春樹のスピーチの日本語訳は以下の通り。いい訳だなぁ。

私たちは国籍も人種も宗教も超えた個としての人間だということです。そして、私たちはみな『システム』と呼ばれる堅牢な壁の前に立っている脆い卵です。どう見ても、勝ち目はありません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい。もし、私たちにわずかなりとも勝利の希望があるとしたら、それは自分自身と他者たちの命の完全な代替不能性を信じること、命と命を繋げるときに感じる暖かさを信じることのうちにしか見出せないでしょう。(内田樹の研究室)http://blog.tatsuru.com/2009/02/20_1543.php

 そしてこの映画でいえば、壁とはもちろん、日本による朝鮮植民地支配のこと。卵はその圧政の下に苦しむ人々、ならびにその人々に心を寄せる日本人のことだ。


 浅川巧という一人の日本人青年が朝鮮に渡り、朝鮮の山と人々と民具を愛して死んだ。本作は朝鮮の土になった日本人の半生を描いた伝記映画である。


 雄大な富士の姿がひときわ高く遠くに映る、山梨県の山並み。映画はその美しい風景から始まる。山梨県出身の青年浅川巧は、1914年、日韓併合から4年後の朝鮮・京城(植民地時代のソウルの表記)に朝鮮総督府林業試験場の技師として着任した。荒廃が進む朝鮮の山々に植林することが彼の目的であり、夢であった。同じ試験場の朝鮮人雇員・李青林(イ・チョンリム)に朝鮮語を教わり、兄・浅川伯教の影響によって李朝時代の白磁に興味を持つようになる。兄の知人である柳宗悦と交流し、浅川兄弟は柳宗悦とともに朝鮮民家で雑器として使われていた白磁を収集して、1924年京城に「朝鮮民族民芸館」を創設する。

 
 巧は好奇心溢れる人物として描かれている。京城に着くや否や、彼は目にするすべてのものに興味を持ち、あれこれと眺め回すので、兄・伯教に「じろじろ見るな」と叱られる始末。巧の好奇心に溢れた素朴な人柄を表すエピソードが次々と描かれていく。だが、素朴で素直な性格というのはもちろん大きな長所だが、欠点でもある。彼は朝鮮人が彼をどのような眼で見ているのか忖度することなく無邪気に仲良くなろうとするし、彼らを愛して溶け込もうとする。そもそも会ったばかりの同僚・青林(チョンリム)に「朝鮮語を教えてほしい」と頼み込むことこそ相手にとってはいい迷惑だろう。チョンリムはもちろん嫌とはいえない。チョンリム自身は嫌がっているそぶりを見せないが、かといって喜んで教えているのかどうかはわからない。


 映画はとても素直な作りで、誠実に撮りあげられている。なにも奇をてらうこともなく、まさに浅川巧という人物そのもののように誠意に溢れた作品に仕上がっている。浅川巧の素晴らしさはとてもよく伝わるのだが、日帝の朝鮮支配の過酷さはそのほんの一端が描かれるだけで、ほとんど軍人・間宮一人が体現しているに過ぎない。だから、1919年の三一独立運動のときに、「もう我慢できない!」と朝鮮人たちが叫ぶその思いに重みが感じられない。
 しかし、独立運動への弾圧に抗議するかのように巧が朝鮮服を着るようになる場面で、チョンリムが「朝鮮服を着たからといって朝鮮人になれると思っているのか。あなたは朝鮮人ではない。自分だけが朝鮮人の味方だと思っているのか」と巧を詰問する場面にはリアリティがあった。素直な心根の巧にはまったく悪意がない。悪意がないことが他者を傷つけないとは限らない。ここにわたしたちは「壁」を見る。どんなに友情に結ばれているように見える二人でも、「朝鮮と日本」という記号=壁に当たって卵は割れてしまうのだ。


 浅川巧にせよ柳宗悦にせよ、朝鮮の民具・雑器・陶器をこよなく愛し、「日本の支配によってどんどん民具の呼び名が失われて行く。放っておけば失われてしまう言葉を記録しておきたい」との思いから、『朝鮮の膳』という書物を著したり、美術館を建設したり、朝鮮文化の保護育成に努めた。その態度を「オリエンタリズム」と批判したり、偽善だと指弾することは簡単だろう。ほんとうに朝鮮を愛しているならば、日本人は朝鮮から出て行くべきであり、植民地支配を止めるべきであったのだ。とはいえ、浅川巧にとって朝鮮の山や木や人々は本当に愛すべきものであったようだ。その思いはしかし、朝鮮の人々に届いただろうか?


 ここで、原田達さんの『鶴見俊輔と希望の社会学』(2001年)を参照しよう。
 被抑圧民族である朝鮮人は「サバルタン」である。柳宗悦は朝鮮という他者=サバルタンについて語ったために、柄谷行人小熊英二から「オリエンタリスト」とのそしりを受けた(p.131-133)。柳宗悦は自分のイメージに合う朝鮮文化を称揚し、白磁の中に滅び行く民族の悲哀を見た。その態度は「朝鮮を発見したというよりも、朝鮮を発明したと言った方がいい」(p133)と言われるほどである。また、朝鮮人自身からの柳批判も既に戦前から存在していたという。それでもなお柳宗悦、ひいては浅川兄弟の朝鮮観を掬い取ることに意義はあるだろう。原田さんは鶴見俊輔の言葉を引用しつつ、こう言う。

柳のおこなったことをひとつのコミュニケーションとしてとらえようとする。「話しかけようとした」という表現は、「語り」とおなじ意味ではない。いっぱんに「語り naration」とは「一人語り」であって、オリエンタリズムとはこの一方的な「語り」のことであった。対等なコミュニケーションが成立したとき、オリエンタリズムは消滅する。(p.137)


 柳宗悦と浅川巧を同列に論じることは間違いかも知れない。柳宗悦は巧と違って東京帝国大学出のエリート・インテリゲンチャであり、白樺派の高名な美術評論家だ。巧は一介の林業技師に過ぎないし、李朝白磁の美しさに惹かれたといってもその美について評論を書いたわけでもない。『朝鮮の膳』という本は書いたから、多少は物書きの部類に入れてもいいのかもしれないが、基本はやはり林業の人、木や山を愛した人だったのだろう。彼はどちらかというと柳の手伝いをして民家を回り、陶器を集めて回った現業労働者といえるのではないか。だからこそ、巧は朝鮮の人々とより近しい立場にあったのではないか。チョンリムとの友情は、巧の人柄に拠ると同時にチョンリム自身の義理堅さによって二人を結びつけたといえる。まことに心を打つ素晴らしい出会いがあったものだ。残念ながらこのチョンリム青年は実在の人物ではないということだが、巧が朝鮮の人々に愛されたことは間違いない。それが最後にわかるその場面では、思わず涙腺決壊。それまでも何度も涙が溢れたのだが、最後はほとんど号泣状態。いやわたしだけではなく、隣席の中年女性もずっと泣きっぱなしでうるさかった。

 何よりもわたしが感動したのは、実はこの映画には描かれていない後日談だ。パンフレットによれば、浅川巧の墓は戦後60年以上も韓国人が守り続けていてくれたという。朝鮮の土になった日本人の墓を、解放後の韓国の人々が大事に守ってきてくれた。そのことがわたしの胸を熱くする。浅川巧と朝鮮人の間には対等なコミュニケーションが成立していたのではないか? オリエンタリズムは消えていたのではないか? 巧は常に朝鮮の友に、隣人に、語り続けた。彼の何がそうさせたのか、それはこの映画を見ていても判然としない。巧がクリスチャンであったからかもしれないが、彼がクリスチャンであったことは映画では描かれていない。


 浅川巧の人柄や朝鮮人親友との厚い友情といった日本人が見て感動する美談だけではなく、この映画は日本人の横暴や朝鮮人の憎しみ、関東大震災での朝鮮人虐殺、三一独立運動の弾圧、抗日運動、といった側面も描くことを忘れない。ただ、どうしても抗日運動の描写はおざなりであり、わかりやすく素直な描写には時として気恥ずかしい演出も散見される。


 韓流ブームやK-POPのヒットの影に日韓の深い歴史の溝が横たわり、それを架橋しようとした日本人がいたことを日韓の若者達に知って欲しい。浅川巧のことを「『朝鮮人のために』と上から目線で恩着せがましい」という韓国人がいるかもしれないが、既に未来はここに懐胎していたのだ、80年も前に。巧は心から朝鮮の土を山を木を愛していた、ただそれだけ、そのように思える。

 
 いい映画なのにあまり宣伝もされていないようなのが実に残念だ。一人でも多くの人に観てほしい。

119分、日本、2012
監督: 高橋伴明、製作総指揮: 長坂紘司、脚本:林民夫、撮影:ナ・ヒソク、音楽:安川午朗、エンディング曲:ハクエイ・キム『道 〜白磁の人〜』
出演: 吉沢悠、ペ・スビン酒井若菜石垣佑磨塩谷瞬黒川智花市川亀治郎大杉漣手塚理