吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

パーフェクト・センス

パンデミック人類絶滅危機映画は数あれど、これほど詩的で深い作品には初めて出会った。人々は五感を一つずつ失っていく。嗅覚を、味覚を、聴覚を、視覚を。それは人類が直面した終末の日々。その爆発的感染が始まったときに一組の男女が出会った。女は感染学者、男はシェフ。

 突然の悲しみに襲われ、生きる意味を見失うほどの悲嘆にくれたあと、ふと気がつくと嗅覚が無くなっていた。そんなふうに、この奇病は始まる。感染病の研究者であるスーザンと、シェフのマイケルも出会ってすぐに感染してしまった。二人はたちまち恋に落ちるが、お互いの匂いがわからない。匂いは記憶を呼び覚ます。想い出は香りとともに蘇る。嗅覚をなくした人々は思い出を無くした。

 次に人々が襲われたのは、猛烈な恐怖。恐怖が止むと突然の飢餓感が人々にとりつき、手当たり次第に貪り食べた後、我に返った人々は味覚を失っていることに気づく。それは貪欲と大食の罰でもあるかのように。人の7つの大罪のうちのひとつ、「暴食」を想起させる。

 嗅覚と味覚を失った客に出す料理がありえるのか? レストランは廃業に違いない。だが、オーナーの絶望に抗してマイケルは「まだできることがある」と提案する。味覚と嗅覚に替わって、人々は料理の温度や質感を楽しむようになった。だがそれも束の間、次に人々が失うのは聴覚。徐々に人類の最後が近づいていた……。


 詩を読むようなナレーションに導かれ、物語は静かに進む。舞台となるスコットランド、グラスゴーの憂鬱な空と徐々にすさんでいく街並が、見る者の心を悲しみの淵に沈めていく。謎の病気が引き起こす感情の爆発に翻弄され、愛し合う恋人達も傷つけあい、別れてしまう。

 少しずつ終りが近づく世界に、それでも人々は愛し合い、音楽を聞き、料理を楽しむ。それがつかのまのものとも知らず。一つまた一つ感覚<センス>を失っていく時、失ったものを取り戻すかのように人々の残された感覚は鋭敏になる。それは、最後の楽園に取り残された絶望のなかでわずかに残った宝物を愛でるかのような日々だ。これまで当たり前に感じていたことがどれほど幸せだったのか。昨日までのあのふつうの生活がどれほど大切で愛おしいものであったのか。

 最後の感覚を失くす寸前の、恍惚の表情。かつてこれほどの幸せを感じたことがあっただろうか。愛している、愛している、愛している、ただそれだけをあなたに告げたい。二人は互いを求める。残されたもの、唯一の、それは<愛>。そのことに気づいたとき、人々は至福の時を迎える。極限の愛は、至上の歓びとともに、二人して絶望を抱きしめることにより成就する。


 ありえないような設定の、絵空事のような物語なのに、胸にせまる緊迫感は本物だ。世界中に広がる奇病は寓話に過ぎない。3.11を経験したあとの<私たち>は、この映画が絵空事でないことを知っている。どんな絶望のなかにも希望は残されている。もろともに滅びようとも、愛が残されていれば、ただそれだけで。

 静かなカタルシスに包まれるラストシーン、こんな映画は観たことがない、と呟きながらわたしは一人泣いていた。

 音楽はナイマンか、と思いながら聴いていたら、マックス・リヒターだった。このスコアは素晴らしい。切なく叙情的でありかつ理知的な響きを感じる。

PERFECT SENSE
92分、イギリス、2011
監督: デヴィッド・マッケンジー、製作: マルテ・グルナート、ジリアン・バーリー、製作総指揮: デヴィッド・マッケンジーほか、脚本: キム・フップス・オーカソン、撮影: ジャイルズ・ナットジェンズ、音楽: マックス・リヒター
出演: ユアン・マクレガー、エヴァ・グリーン、ユエン・ブレムナースティーヴン・ディレイン