吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

暗殺・リトビネンコ事件

大阪のW選挙が終わって考えることは「独裁者とその腰巾着」。独裁者の名前はすっと出てくるのだが、腰巾着の名前がまったく思い出せない。それは大阪で言えば某維新の会代表と新大阪府知事某、といえるか。いま、ロシアの独裁者はプーチンで、その茶坊主は誰かという話は面白おかしく語れるかもしれないが、この映画に描かれたことが真実だとすれば、笑っていられるようなことではない。

 先日わたしの旧友がメールを送ってくれた言葉に、次のようなものがあった。
「日本人って「独裁」でも強く引っ張っていってくれる人が好きなんでしょうか? 私はロシアがそうかなと思っていましたが」

 
 元ロシア連邦保安庁(FSB)中佐だったリトビネンコがプーチン大統領を批判してイギリスに亡命し、ロンドンで謎の放射性物質中毒死を遂げたことはそれほど旧聞には属さないだろう。当時からプーチンの差し金による暗殺だと言われていたが、実際はどうなのか? この映画を見ることで新しい驚愕の事実が現れるのだろうか。

 結論からいえば、この映画を見たところで、既視感の強い「事実」だけが露わになるのみだ。暗殺事件の謎に迫るというサスペンスはどこにもない。最初から犯人はプーチンに決まっていて、そのことを強く印象づけるための状況証拠を積み上げているに過ぎない。だから、「動かぬ証拠」によって積み上げられた<真実>はどこにも描かれていなかった。
 
 とはいえ、だからといってこの映画が見るに値しないかといえばそんなことはない。なるほど、官僚制秘密警察国家はこういうことをやるのか、という証言が次々と露わになる。しかし、「ロシアの成人男子の半分が服役経験を持つ」などという話は本当だろうか? もともとこの映画はリトビネンコが暗殺されるはるか前からネクラーソフ監督がインタビューを続けて蓄積してきた映像から成り立っている。そのインタビューでリトビネンコは正義感の強い愛国者として登場する。彼は正義感が強いからこそ、チェチェン戦争でテロ事件を捏造するFSBのやり方が許せなかったのだという。リトビネンコの一方的な証言・告発だけでは、政権を揺るがせる証拠能力に乏しいのではないか。現にプーチンはまんまと逃げおおせている。

 ソ連が崩壊した後のアノミー状況は各種の報道で知っていたが、本当だろうかと思われるような驚くべき証言がいくつもあった。曰く、ロシアの将校が兵士たちを「奴隷」としてチェチェンのマフィアに売り飛ばしたとか、一個連隊ごと売り飛ばされたとか、すべてが金がらみの話である。しかし、リトビネンコの証言を含めて、ほとんどの証言には証拠書類などが存在しない。唯一、食糧輸入に絡むプーチンの汚職については文書が提示されていた。

 この映画に登場するわたしと同い年の女性ジャーナリスト=アンナ・ポリトコフスカヤが印象深い。力強い言葉でプーチン批判を繰り広げる彼女は、後に暗殺された。美しく知的なアンナは、独立系新聞の記者だった。命の危険を顧みず、権力批判を繰り広げた彼女の勇気に感服する。

 最後に最も興味をそそられたのは、晩年にリトビネンコが亡命先のロンドンでイスラム教に改宗したという事実だ。ここをもっと掘り下げてもらいたかった。このことが何を意味するのか、この映画からはつかみにくい。

 ところで、ネクラーソフ監督はドイツ語・フランス語・英語が話せるのか? だとしたらすごい。そうではなくて通訳が入っている部分を編集でカットしたのだとしたらその技術はさらにすごい。 (レンタルDVD)

暗殺・リトビネンコ事件(ケース)
REBELLION THE LITVINENKO CASE
110分、ロシア、2007
監督: アンドレイ・ネクラーソフ