吟遊旅人のシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。写真は映画.comからリンク取得。感謝。㏋に掲載していた800本の映画評が現在閲覧できなくなっているので、少しずつこちらに転載中ですが全部終わるのは2025年ごろかも。旧ブログの500本弱も統合中ですがいつ終わるか見当つかず。本ブログの文章はクリエイティブ・コモンズ・ライセンス CC-BY-SA で公開します。

ベニスに死す

 ほの暗いスクリーンの真ん中に灰色の横筋が何本か見える。フィルムの傷なのか、スクリーンの皺なのか、と疑わしく凝視していると、少しずつ輪郭を鮮明にしていく画面の中で、その筋は水面に浮かぶ波光のきらめきであることが判明する。やがて夜明けの海に漂う汽船の姿が浮かび上がり、それは煙たなびくすすけた風景となって一幅の墨絵を見るような感激に浸らせてくれる。流れるのは大音響のマーラー交響曲第5番第4楽章の甘美な調べ。切なく、美しく、どこか絶望に縁取られたようなその調べに心がわしづかみにされる。開巻2分でもう、観客はヴィスコンティの虜。

 1911年当時を再現した美術の素晴らしさ、贅を尽くした衣装の数々、上品な立ち居振る舞い。すべてが貴族趣味であり、鼻持ちならないと思える人にはそうでしかないものだけれど、「美」とはまさしくそのようなものである、と痛感させられる崇高な世界。美が死と隣り合わせにあるからこそ一瞬の輝きに永遠を閉じ込めることができる。

 スランプに陥ったドイツ人老作曲家が、一人、保養のためにやってきたベニスで耽美の極みに浸りながら昇天するという、最高に幸せで醜い死を描く。

 初めてこの映画を見たとき、わたしは22歳ぐらいだったか。そのときは、老人が美少年を追っかけまわしたあげくにピエロのような化粧を施した顔から汗を滴らせ老醜を晒しながら死んでいく気色の悪い映画としか思えなかったし、ものすごく退屈だったのだ。だが今回見直して、この計算しつくした画面へのヴィスコンティのこだわりがひしひしと感じられ、ゆったりとした時間の流れと美しい音楽の世界にわたしもすっかりひたりきってうっとりと時間をすごすことができた。この映画の中では時間は長く長く引き伸ばされ、静かに豊かに漂う。その時間の長さが冗長を生まず、むしろ不思議な異国情緒をかもし出す非日常の世界へといざなう心地よさをもたらす。

 かつては老人にしか見えなかったダーク・ボガードも今見ればずいぶん若い。このとき彼は50歳。今のわたしより若いのだから、そう見えるのも当然か。50歳で既に老人であった1911年のことを思えば、今の50歳は本当に若い。むしろ未熟とさえ言えるのではなかろうか。老作曲家のモデルはマーラーだと言われているが、マーラーはユダヤ人である。この映画では作曲家がユダヤ人らしくは見えないが、いかにもドイツ人らしい生真面目さと几帳面、礼儀正しさに彩られた振る舞いが、美少年タジオを見た瞬間から徐々に崩れていく様が見事だ。少年に惹かれる己を恥じて帰国しようとする一方で、彼の元に戻るときの嬉々とした表情の無邪気なこと。

 今回のニュープリント版では、タジオたちの一家がしゃべる言葉に字幕がついていない。最初、何国人かわからなかったが、スラブ系には違いなかろうと思いながら見ていた。パンフレットを読んで彼らがポーランド人一家であることがわかったが、英語以外にはほとんど字幕がついていないため、作曲家の置かれた異国の雰囲気がよく伝わる。

 美を追求する芸術家、死の予感を前にして蘇る過去の記憶、何もかも放擲して浸る耽美の世界。ただただ「美」を描くだけ、これほど完璧な映画も珍しい。作曲家の死が羨ましくさえ思える。

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MORTE A VENEZIA
131分、イタリア/フランス、1971
製作・監督・脚本:ルキノ・ヴィスコンティ、原作:トーマス・マン、共同脚本:ニコラ・バダルッコ、撮影:パスクァリーノ・デ・サンティス
出演:ダーク・ボガードビョルン・アンドレセン、シルヴァーナ・マンガーノ、ロモロ・ヴァリ、マーク・バーンズ、マリサ・ベレンソン