吟遊旅人ピピのシネマな日々

歌って踊れる図書館司書、エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)の館長・谷合佳代子の個人ブログ。映画評はネタばれも含むのでご注意。映画のデータはallcinema から引用しました。感謝。

その街のこども

ginyu2011-08-07 この映画のDVDを見ている最中に地震が起きたが、わたしはまったく気が付かなかった。横で寝そべっていた長男Y太郎が「地震や」と言ってむっくり起き、S次郎は「揺れたな、地震や」と言いながら二階から降りてきた。二人ともちょっと驚いたような軽い興奮状態だったのにわたしは「へ?」とか言っているので「鈍感」とレッテルを貼られた。奈良で震度4だから、この辺は震度2ぐらい?→震度2でした。しかしこの程度だったのにSは「和歌山が沈没したんちゃうか」などと言っていた。南海沖地震が近々起きるという刷り込みが徹底しているようだ。


 さて、元々がテレビドラマだという本作は、いかにもテレビ的な画面作りが窮屈なのと、音が悪いのが難点だが、その点を差し引いてもここで描かれた震災被災者の心情というものはリアルで多面的で引き込まれる。震災後から15年が経ったからこそできたドラマだろう。と同時に、あの時小学生と中学生だった二人だからこそ、15年後、大人になって振り返ることができる。子どもたちは15年経ってすくすくと成長してきたわけだが、決して何の傷も残らなかったわけではない。むしろ、震災後15年経ってやっと神戸に帰ってくることができた、その分、実は傷は深かったのだろう。

 明日が1.17というその日、偶然新幹線新神戸駅で出会った二人の男女が、一晩かけて震災のことを語りながらひたすら歩く。目的は5時46分に開催される追悼の集いに参加すること。

 男が女をナンパする、あるいは女が男をナンパする(逆ナンって言うのね、初めて知った)ようにしていつの間にか、出会ったばかりの男女が居酒屋で語り合う。男は子どものときに被災したが、親が震災を機にあくどい商売で儲けたことを語ると、女はあからさまに不機嫌になり、席を立ってしまう。この場面も、そして続く場面もほとんどがアドリブで撮られたという会話は実によどみなく自然で、震災が残したものの重さも傷も十人十色であることが手に取るように迫ってくる。

 結局二人は朝まで歩き通すのだが、その途中で疲れて挫折しそうになったり、友人や知人の家に立ち寄ったりと、ただ歩いているだけのドラマなのにけっこう動きがある。この二人は朝まで歩き通すことができるのだろうか、その後どうなるのだろう、恋の花が咲くのか、傷は癒えるのか、などなどと観客は想像力と予想力を動員しながら二人の足取りに引き込まれて行く。


 3.11の震災後にこのDVDを見たことは時宜を得ている。こんなふうに15年後何を語り合っているのだろうか、などとそんなことを考える余裕はいま誰にもないだろう。しかし、15年後は必ずやってくる。そのとき、「その街のこども」だった東日本大震災被災者たちは何を思うだろう。非被災地のわたし(たち)は何を思うだろう。15年後、20年後のことを考えながら今、被災地の支援についても考え行動すべきなんだ。原発はどうなっているのだろう、阪神淡路のときとの大きな違いを考えると、15年後の「癒し」は存在しないかもしれないと背筋が寒くなる思いがした。(レンタルDVD)

83分、日本、2010
監督:井上剛、脚本:渡辺あや、テーマ曲:阿部芙蓉美
出演:森山未來佐藤江梨子津田寛治